2013年7月24日水曜日

共産党の躍進と夏の暮らし

 21日の参議院選挙で、日本共産党は改選3名から8名に躍進しました。全議員とも一騎当千の面々ですが、とりわけて嬉しいのは、非改選議員3名を加え11名になり「議案提出権」を得たこと。「どんな問題にも対案を出す」のを党是にしている共産党が、自民党の悪政と、真正面からたたかうのにわくわくしています。

 もうひとつ、共産党は比例区でしか勝てないというしがらみをふりほどき、東京・大阪・京都の選挙区選挙で、10数年ぶりに3名が当選し、風穴を開けたことです。しかも、うち2名は30才台の青年。働く人の1/3、2000万人以上が不正規労働者で、その多くが若者です。共産党は今度の選挙で、「正規労働者を常識に」、「若い労働者を使いつぶすブラック企業絶滅」を争点のひとつとしてたたかいましたが、若者が日本共産党に期待を寄せていることの結果ではないかと、嬉しくなりました。

 一方、自民党は目標としていた「ねじれ解消」を実現し、選挙中は少々控えていた原発再稼動・憲法改悪・TPP推進・雇用と社会保障改悪の策動を、本腰を入れて推進してくるでしょう。ですから、共産党が「悪政の防波堤」として、これらの悪政と真正面からたたかうのを期待します。それにしても、昨年暮れの総選挙の結果を見たとき、私は「2大政党」のひとつ・民主党が凋落し、マスコミに散々もてはやされていた「第3極」の後退という、今日の状況を予想できませんでした。政治の潮目は、東京都議会選挙からの短い期間に、「自共対決」へと変わってきたのではないでしょうか

四阿屋の川で泳ぐ孫
 8月末二人目出産を前に、母親といっしょに帰ってきた孫(男・5才)は、いっときもじっとしておられないエネルギッシュ少年。まして、母親は正念場でかまってやれませんから、甘木で保育園の臨時園児として通園中。うちを訪ねてきた日は私がお相手で、17日は九千部山を源流にする四阿屋(河内川の支流)の川遊びに行きました。夏休み中は混雑する四阿屋も、この日は休み前のウイークデイでしたから、空いていましたが、気温30度以上の暑さにもかかわらず水は冷たく、1時間も浸かっていると孫の唇は薄紫になり、川べりのベンチで食事をして、もう一回入るかどうか訊ねると、さすがのエネルギッシュ男ももういいとお手上げ。この結果、23日の来訪日は、この夏2回目の市の温水プールで遊びました。 

 27日から八ヶ岳山麓に腰をすえ、主に長野県北部を回ってこようと思っていますが、その前に立ちはだかっているのが畑の草むしり。暑さにかまけて畑に行かないうちに、作物を覆い尽くしているので、出発前には一通りと思って、朝食を済ますと毎日出かけていますが、暑さと蚊に襲われて1時間もやると限界。年寄りの熱中症患者が頻発しているといいますから、ぼちぼちやるしかありません。孫と雑草に手をとられている夏です。

 次のブログは八ヶ岳山麓から送るつもりです。

2013年7月16日火曜日

反原発と改憲反対-瀬戸内寂聴さんの思い


「新婦人新聞」7月18日号

 雇用・消費税・原発・憲法・TPP・基地問題など、私たちの暮らしと将来の国のかたちを争点にした、参議院選挙の投票日が目前に迫りました。カミサンが購読している、新日本婦人の会発行「新婦人しんぶん」7月18日号のトップページは、作家・僧侶の瀬戸内寂聴さんの「私の選択」です。

 「いまの政治状況、なにか間違っているんじゃないでしょうか。アベノミクスとか言って、景気さえよくなればと浮かれさせられているところがありますね。だけど、たちまち株価は下がるし、結局、根本的な解決はできていないわけでしょ」「橋下大阪市長・日本維新の会共同代表「慰安婦」発言も驚きましたね。女は戦争の道具、男の性的処理の道具として使われて当然というような思想が根本にはある。政治家のこんな発言がまかり通っているのは本当に恥ずかしいことです」など、評判の講話のように、ことの本質を縦横無尽に説いて迫ります。

 そのうえで、「日本人はおとなしすぎますよね。いやなことはいやだと主張する権利があるんです。我われは税金をおさめているんですから。私は、自分は91才の老人だし、いつ死んでもいいと思って、反原発の集会や座り込み、戦争に反対する憲法集会に参加してきました。(中略)今度の選挙は反原発と改憲反対、この二つの思いで投票します」(以下略)と述べられます。福島の被災地をたびたび訪ねておられる、寂聴さんらしい潔さです。



かぼちゃプリン
 先日、5歳になったばかりの孫(男)が、母親の8月末二人目出産を前に、東京から甘木の実家に帰ってきましたが、13日にはわが家を訪ねてきました。正月にも会っていますから、およそ半年ぶりですが、その著しい成長ぶりには目を見張るばかりです。

 さっそく、ふたりで市の温水プールに行きました。犬掻きで泳ぎ、潜って回転する、滑り台をすべり降りるなど、息もつかせぬ90分。見守りのこちらががっくりきました。そのうえ帰宅すると、近くの公園に行くといって聞きません。次に来たときには、九千部山の川遊びに連れて行くといってようやく収まりましたが、明日が約束の日です。今日はそれに備えて、かぼちゃプリンを作っています。

 



2013年7月11日木曜日

「原発ゼロ」は日本共産党だけ

 7月8日、原子力規制委員会の「新・規制基準」が施行されると、待ってましたとばかり、関電・九電などの電気会社が原発再稼動を前提に、即日審査を請求しました。福島原発の事故原因究明も事故収束もおぼつかず、15万人以上の人が故郷に帰れず、筆舌に尽くしがたい避難生活を送っておられるというのに。

首都圏反原発連合のフライヤー
 7月21日は参議院選挙投票日です。自民党は原発について、アベノミクス・「成長戦略」に「原発活用」を明記し、「国が責任をもって、安全と判断された原発の再稼動について、地元自治体の理解が得られるよう最大限の努力をする」として再稼動に前のめりです。民主・公明・維新・みんなの各党も「新・規制基準」に適合すれば再稼動OK、自民党と変わりがありません。

 しかし「新基準」そのものが、専門家や関係者から多くのクレームが付いているほか、事故時の避難計画作製を後回しし、関係自治体にまる投げするなど、信用ならぬしろものです。また「国が責任をもつ」といって、どんな責任をもつのか、福島事故を見ればあきれてしまいます。したがって、これらの政党への1票は、危険極まりない原発再稼動への1票といえます。

 一方日本共産党は、事故の収束も検証もなく、再稼動や原発輸出など論外。「即時原発ゼロ」を決断し、直ちに廃炉のプロセスに入り、省エネ・節電、太陽熱・小水力・バイオマスなど、多様な再生可能エネルギーを組み合わせて、電力の安定供給を図っていくと主張しています。私は原発反対の1票をこの党に託します。

 毎週金曜日、国会周辺で原発再稼動に反対している首都圏反原発連合は、先日参議院選挙に参加する全ての政党の原発についての態度を評価して、フライヤーを作成しましたが、断トツ◎は日本共産党です。先月の東京都議選のように、共産党を躍進させましょう。それが「原発ゼロ」への唯一のみちです。

きょうの収穫はコレ
 家庭菜園では、ジャガイモを収穫し、毎日熟れるきゅうり・トマト・ナスをカミサンが採ってきて食卓にのぼせます。完全無農薬・不耕起栽培(私がときどき草むしりをしていますが)だから美味しいでしょうと、カミサンがいうので、あいまいに相槌をうって食べています。


2013年6月28日金曜日

冷麺のたれとめんつゆ

 暑くなってからの、わが家の昼食の定番のひとつ-冷麺。昨年まではスーパーで袋入りを買ってきて食べていましたが、「NHKきょうの料理」に「冷し中華のたれ」レシピが出ていたのでこれを作り、生めんをスーパーで買ってきて、我が家の家庭菜園でできるきゅうり・トマトをトッピングして仕上げています。たれは、炒め物やてんぷらのつゆにも、利用できるから便利です。オリジナルな味でいけます! 

 たれの作り方は、酢大さじ(以下同じ)6、しょうゆ8、ゴマ油・砂糖・酒各4を金属のボールにいれてよく混ぜ、2.3分湯せんにして、砂糖を溶かしアルコールをとばし、粗熱をとって、冷蔵庫で冷すだけだから簡単。私は砂糖を大2にしていますが、それは好みで。また、圧力鍋で鶏を蒸し煮にした日は、身は刻んでトッピング用に、だしはしょうゆ・塩・ゴマ油・酢を混ぜてたれにしていますが、これもいいです。


 
本日の冷麺です

 参考までにわが家のめんつゆ。ただし、これはさる有名料理人が書いていたものですが、みりん2カップを沸騰させてアルコールを飛ばし、しょうゆ2カップを加えて沸騰したら、削り節30g加えてすぐに火を消し、粗熱をとって削り節を引き上げます。これはフライパンで軽く炒ってふりかけで食べます。めんつゆのほか、煮物などに広く使えるので重宝しています。

2013年6月22日土曜日

原発事故作業員の死亡3,000人ー政治評論家・板垣英憲氏

つぎつぎに花をつけるノウゼンカズラ
 このところ問題になった高市氏の発言について、政治評論家・板垣英憲氏は、「ヤフーニュース」20日付けの「高市早苗自民党政調会長の無知な原発事故ゼロ発言…」と題する評論で、「原発事故収集に当たってきた作業員2万から3万人のうち、すでに3,000人以上が亡くなっている。また、子どもの放射能被爆も広がっているのに、福島大学などがこれを隠している」(以上要旨)と書いています。これが事実なら、ことは弁解などで澄むものではありません。速やかに事実を明らかにすべきではないでしょうか。

 一方、原発再稼動問題。原子力規制委員会が、去る19日新規制基準を決定し、7月8日には施行される予定ですが、各電力会社は、即再稼動申請を行う模様です。茂木経産相は21日の記者会見で、「仮に電力会社から、12基なり13基申請が出て、稼動できることになれば、総発電量の1割をカバーすることになる。その時期は最短この秋となる」(要旨)と意欲満々です



 今日22日、妻と2人の障害者といっしょに映画「ひまわり」を見てきました。多数の幼い命を奪った、宮森小学校へのジェット機墜落事故、沖縄国際大学へのヘリ墜落事故から長い時間が経ちましたが、沖縄にはオスプレイの配備や、辺野古新基地建設計画などが押し進められ、その不安・苦しみは一向に軽減されていません。映画では耳を劈く爆音が、観るものの心に重くのしかかってきました。これも原発再稼動問題とともに、7月の参議院選挙の重要な問題です。

 
 16日から咲き始めたノウゼンカズラは、降り続く雨にも負けずいまや満開、アジサイはやや苦戦中です。


2013年6月9日日曜日

ポスターを貼り出し、原発再稼動に反対

 マスコミや一部の経済学者などから不況脱出の切り札といって、さんざんもてはやされた「アベノミクス」(浜子同志社大学教授は「アホノミクス」と呼んでおられるが…)は、5月下旬以来の相次ぐ株暴落で、少々メッキがはげかかっていますが、新たに計画されている、「第三の矢」と称する「規制緩和」・「骨太方針」・「成長戦略」も、庶民にとっておぞましいものばかり。

日本共産党のポスターを貼り出す

 たとえば「成長戦略」のなかの原発。
 福島原発では、放射能混じりの汚染水が、近々あふれかねない危機一髪の状況がつづいています。また5月16日には、原子力規制委員会が、高速増殖炉「もんじゅ」のずさんな管理に鑑み、運転再開停止を命令すると決め、廃炉は避けがたいといわれています。にもかかわらず、「方針」には、「原発再稼動を進めるため、政府一丸となって最大限取り組む」と原発活用を掲げる一方、原発輸出を念頭に、「2020年には、30兆円のインフラ輸出を行う」として、GWには首相が大勢の財界人を引き連れ、「原発トップセールス」に出かけており予断は許されません。

九千部山の花ー6/4
 
 もちろん、全国の原発再稼動に反対し、廃炉と再生可能エネルギーへの転換を求める国民の声も、毎週金曜日のデモや、6月2日の反原発大集会に見られるように、決して少なくなってはいません。このうえは、目前の東京都議会選挙と参議院選挙で、「即時原発ゼロ」をかかげる唯一の政党・日本共産党を躍進させ、自民党とそのとり巻き政党を追い込んで、止めを刺さねばなりません。私はそう考えて、わが家の入り口に、日本共産党の反原発ポスターを掲げました。







 畑仕事では、トマトもきゅうりもナスも紫蘇も順調に育っています。カミサンはちょうちょやアオムシガ少ないのは、PM2.5のせいじゃないかしらなどといっていますが、雑草の活動は活発で、ことに手ごわいドクダミ・ハマスゲ・メヒシバの駆除で悪戦苦闘中です。


ガクウツギー6/4九千部山
 

 山登りでは、6月4日に九千部山に登ってきました。5月8日以来です。山は花の季節で、頭上のエゴノキやヤマホウシ、足元のガクウツギのほか、名前を知らない多くの白い花に迎えられ、日当たりのよい林道ではキイチゴが鈴なり、それを頬張って坂道を登りました。しかし、登山間隔が開いたせいか、以後2日間は大腿とふくらはぎが凝って痛みました。三浦さんのようにはいきませんね。

2013年6月1日土曜日

Nさんの見舞いをかね、北浦海岸を訪ねる

 Nさんからもらったことしの年賀状に、パーキンソン病を患っていると書いてあったので、電話でご様子を伺い、患者の闘病記専門店「パラメディカ」から関係本数冊を取り寄せて送り、暖かくなったら伺いますといっておいたので、少し遅くなりましたが、5月30日、妻と山陰・北浦海岸の、海辺に近い同氏宅を訪ねてきました。

 Nさんは同じ会社の1年先輩、私とは違って根っから穏やかな人で、在職中は無軌道な私ともこだわりなく付き合ってもらいましたが、私が1975年に会社を辞めてからお会いしたのは'76年の一度きりで、以後は年賀状を交換するだけの関係になっていました。したがって、お会いするのは実に37年ぶりです。

 近くまで行って、電話でお宅の場所を尋ねたので、Nさんも奥さんも家の前で待っておられました。Nさんは歩行がやや不自由で、ステッキを右手に持っておられました。顔・形は年相応の老けようですが、昔の面影ははっきり残っています。ただし、あとで聞いたところでは、聴力が衰え補聴器は欠かせず、通院に必要な車の運転も不安があるので、免許証は返上したとのことでした。逆に、私については、道で出会ってもとても確認できないといわれ、流れた年月の長さを、たがいに思い知りました。

きれいな海をまたぐ角島大橋
 Nさんは病気治療のため、小倉と近くのの病院に通っており、これがなかなか骨がおれる由。唯一の楽しみは畑仕事で、住まいに続く納屋には小さな耕運機も置いてあり、約60坪の畑はきれいに整地され、トマト・きゅうり・サツマイモ・三度豆などが整然と植えてありました。私はリビングに置いてあった、子どもが置いていったという、パソコンがまだ使えるのをたしかめ、これを使って楽しみの領域を広げられるように勧め、そのために私が支援することを約束してきました。

 下関市北部の北浦海岸は、当時は豊浦町、豊北町とよんでいましたが、実は私がサラリーマンとして、最後の1年を送ったところです。Nさんのお見舞いに、妻が乗り気だったのも、おそらく同じように、懐かしい思い出の地だったからでしょう。

中本たか子生誕碑
 このため私たちは、Nさんを訪ねた機会に、山の中にある大河内温泉で入浴したうえ、当時は渡船で行き来していた、角島に車で橋を渡り、食事した後、食堂でもらった地図に載っていた「中本たか子文学資料館」を訪ねてきました。しかし、残念なことに、「資料館」はすでに『下関市立近代先人顕彰館』に移転し、生誕碑と歌碑だけが生垣沿いに残っていました。


 「Wikipedia」によると、中本たか子は1903年角島に生まれ、1930年東洋モスリンの女工オルグ中拘束され、以後保釈・入獄を繰り返し、1941年には蔵原惟人と結婚、1991年に亡くなるまで、詩・歌・評論・小説などを書きつづけたようで、私は「わたしの安保闘争日記」(1963年刊)しか読んだ記憶がありませんが、中央から遠く離れた孤島から、ひとり荒海に漕ぎ出した、女性活動家に思いをめぐらしたところです。