2013年3月22日金曜日

首相の見識が問われる


我が家では、少し前からアセビが釣鐘状の白い花をつけ、エントランスではツルニチニチソウやボケが、みどりの葉蔭にひっそりと花弁を広げています。一日おきにトレーニングジムや買い物に行っていますが、行く先ざきでは満開の桜に出会います。春真っただ中にいるのを実感しています。

さて、NHKTVは「東日本大震災」から2年の3月11日前後に、大震災と原発災害に関連したドキュメンタリーの数々を放映して、復興・復旧の困難と、今なお続く被災者の苦しみを伝えました。私はこれらの映像を見て、国はなにをさておいても、被災者の苦しみを和らげるために国をあげて被災者に寄り添い、復旧・復興を第一の課題として取り組むべきだと思いましたが、安倍首相はそちらにはさほど関心がなさそうで、その言動は財界とアメリカ第一。やっている事は、まるで国民の実情に合ってないと感じました。

まず、原発のこと。福島第一では、数日前にも停電で使用済み燃料プールの冷却が長時間停止しましたが、停電の原因は配電盤にネズミが入って、電気回路がショートした可能性が高い由。しかも、問題の配電盤は原子炉建屋近くに止めたトラックの荷台上に、原発事故の後仮設されたもので、まさに応急処置。このほか、汚染水の置き場もあと2年、と急を告げているそう。収束・廃炉には10年以上かかるといわれているのに、このような仕事で大丈夫でしょうか。

このように「収束」にはほど遠いなか、首相は「日本の原発は安全」といいつのり、原発輸出や再稼働にやっきとなっているように見受けられますが、私は次世代にツケを残さぬため、原発が大飯を除いて停止しているこの機会に、「原発ゼロ」を決定、再生可能エネルギーへの転換を行うべきだと思います。

また、3党合意の消費税実施は震災復興や経済再生について障害になるのは明らかなのに強行の構え。多数の自治体・団体が反対や慎重行動を求め、先の総選挙では党としても条件付きながら反対を公約し、自民候補の6割以上が反対を掲げたTPPについて加盟を表明。沖縄県民があげて反対している辺野古湾空港新設やオスプレイ配置についても強行。どこの国の首相なの?と問いたい。 


だいいち安倍氏は、現憲法はアメリカ占領軍に押しつけられたものだから改正すべきと、事あるごとに主張してきましたのに、TPP・空港建設・オスプレイ、それに念願の9条改正、すべてアメリカの「押し付け」によるものではないですか。首相の見識が問われます。

2013年3月12日火曜日

東日本大震災から2年


 暖かい日和がつづいたせいで、ご近所のモクレンが純白の大きな花を広げ、周りが急に華やかになりました。

 3月11日は、18,000人余の死亡・行方不明者をはじめ、未曽有の被害をもたらした「東日本大震災」から2年でした。しんぶん「赤旗」の「被災者300人実態調査」は、住まいや雇用・生業の再建はほとんど進んでおらず、長期化した避難生活で、5割以上の人が体調不良を訴えていると報じています。



 
 これに輪をかけて住民を苦しめているのが原発事故。「東京新聞」は「原発関連死」は789人にのぼると報じていますが、県内外に避難している人は今も16万人で、少しも減っていません。一方、昨年「収束宣言」が出された事故現場では、3,000人もの人が収束・廃炉作業に当たっていますが、爆発した原子炉はひきつづき放射能を飛散させつづけ、敷地内に林立する大小800のタンクに溜めている高濃度汚染水はすでに27万トンに達して、タンクを増設しても、あと年で汚染水置き場が無くなると指摘されています。「収束」どころではありません。
 
陸前高田市の戸羽市長は「一番の問題は被災者に寄りそう(国の)政治がやられていないこと」と批判していますが、消費税増税やTPP交渉参加などより、真っ先に、実のある復興支援を行うことが政治に求められています。また、原発については「収束」決定を取り消し、収束と廃炉の仕事に全力を傾けねばなりません。
 
 3月9.10日、東京をはじめ全国各地で、原発をなくそうの声が広がりました。私も妻といっしょに当市で行われた「0310原発ゼロ☆くるめ大行動」集会・パレードに参加して、「原発いらない」の声をあげてきました。妻は黒いごみ袋に首と手を出す穴を開けて着込み、私は山登りスタイルです。

2013年3月7日木曜日

子どもの未来を台無しにする原発反対

鳥栖山岳会が昨年立てた道標

 20日以上悩まされてきた頭痛が、山のガスのように徐々に消えていく。首回りや右上腕の凝りも、潮が引くように薄れてさわやかだ。気力が満ちてくるのも分かるよう。

 6日はさっそく定番九千部山行き。登山道の褐色の落ち葉に春の陽光が燦々と降り注ぎ、先月初めまで、岩陰や木の下に残っていた雪は、もうどこにも見当たらない。山頂の温度計は12℃、ほてった体に当たる風が心地よい。灌木には赤いつぼみがふくらみ、寒い間葉を落としていた躑躅は、小さなかわいい葉を広げ始めている。山頂原生林の芽だちはもう少しあとだが、梢がこれに備えて、背をぴんと伸ばし始めているのが分かる。登山口スタート7:40、下山12:10。いつもより1時間近く早いが、これも頭痛快癒効果!

庭のツバキ満開
 3日は市内で催された「原発避難者の話を聞く会」(正式名称は別)に行く。3人の避難者のうちのひとりは、東京から避難してきた、幼い子ども2人をかかえたご婦人(ファイナンシャルプランナー職)で、次のような話には胸をつかれた。「福島で実施された子どもの甲状腺被曝検査で、数人の子どもは甲状腺がんの判定を受けましたが、この子どもたちはこの先学校・就職・結婚で、つまりは生涯を通じて、重いハンディを背負うことになります。そのような子どもが、これからうんと増えていくでしょう」(要旨)

 原発はひとの命、就中こどもの未来を台無しにする! 私は、原発の大半が止まっている、この機会にすべての原発を廃炉にするのが、もっとも現実的だと改めて思う。大したことはできないので、全国の行動に呼応して、当市で10日に行われる「原発ゼロ☆くるめ大行動」に私は参加するつもりである。



 狭い庭のツバキは満開、クリスマスローズが花をつけて、少しずつ華やかになってきました。近いうちに、寒い間敬遠していた畑に出かけ、草むしりをせねばなりません。

2013年3月5日火曜日

頭痛とアベノミクスで憂鬱

赤川登山口の氷のオブジェ

10日夜から始まった頭痛。かかりつけの医療生協の医者の見立ては寝違いが原因、もらった薬はけい皮消炎剤。しかし、それから3日経っても一向に収まらず、ずきずき痛んで眠れない夜もある。重篤な病気を心配し、脳神経外科を訪ねCTスキャンも撮ってもらったが、筋肉のこわばりからくる痛みによる、とかかりつけ医者と同じ診断。激しい痛みを抑えるために、トンプク頭痛薬をもらうばかり。

もらった頭痛薬を服用すると痛みは和らぐが、これもあまり続けるとよくないといわれ20服て打ち止め。以後筋肉の痛みを和らげる薬と、自律神経の働きを整える薬を服用して、よんどころない頭痛にはストレッチ体操をして耐えるのみのうっとうしい日々。ようやく、一昨日から、右上腕の凝りは残っているが、やっと痛みがなくなったのでほっとしている。

誰ひとりいない久住山頂
耐え難い痛みを、少しでも忘れるために、20日ひとりで久住山に登る。豪雪に手を焼いておられる方には申し訳ないが、雪を求めて行ったこちらにはほとんど無し。ただし、いい天気で懸案の頭痛もほとんど発症せず。だが、帰途我が家がすぐそこというところで、急ブレーキをかけた前の車に追突して、またも憂鬱に。


ユウウツといえば、「アベノミックス」の暴走ぶり…。10日放送のNHKスペシャル「核のゴミはどこへ」は、原発を稼働すれば増えていく使用済み核燃料(核のゴミ)の行くえを追っていましたが、それだけでも「原発ゼロ」でなきゃと思うのに、再稼働をめざす。多くの国民の反対を押して、TPPもオスプレイもごり押しする構え。公明はもとより、民主も維新もみんなもこれに追随し、はっぱをかけているから深刻です。

2013年1月31日木曜日

御前岳・釈迦岳に登りながら

御前岳山頂の灌木の雪

 由布か九重に行きたいが、ひとりで片道2時間以上車を運転するのは、ちとおっくうだ。それに登山口までの道路が凍結していたら、馬鹿をみる。釈迦・御前は19日に登ったばかりだが、車運転は由布・九重の半分で済むし、先日は霧氷がよかったのに、空は薄墨色で、写した写真はぱっとしなかったから、撮り直しもできる。それにしとこう。

 そう思って出かけた29日朝の冷え込みは厳しく、日向神ダムそばの温度計は-4℃、道路はところどころ凍結していて、そろそろ運転。しかし、442号と分かれる登山口の杣の里までは支障なし。8時35分、車を置いてスタート。空は紺碧の蒼空。飛行機が飛んだあとには、真っ白の飛行機雲の筋が残る。雪はここ数日降らなかったようで、わずかな積雪には靴跡が残っている。期待の霧氷は、残念ながら完全に雲散霧消である。

釈迦岳ー樹木の雪が光っています
釈迦岳に登ったあと、好天に誘われて、雨量観測ドームの展望台にも行ってみました。由布・九重・祖母・傾・根子・高岳・八方のほか、噴煙をあげている雲仙も見えました。これでいい気分になり、静かな森の雪道を歩いて、杣の里に戻ってきました。

ところで、私のような単独登山者は、行動中どんなことを考えているのだろうか。計画通り山行を安全に終えること。コースファインディングや足元に気を使うこと。周囲の景色・展望に目をやること。しかし、それは長い行動時間の中のほんの少しの時間で済みますから、あとは何を考えているのだろうか。私は今回の約5時間の行動中、数日前に山田洋次さんの「東京家族」を鑑賞したせいでしょうか、家族のことと、25年も前に亡くなった義母のことをしきりに考え、反芻していました。

釈迦岳山頂のお地蔵さま

つららはご覧のように











それと、安倍内閣の原発政策。民主党が打ち出した「2030年代原発稼働ゼロ」は具体的な根拠をともなわないので「ゼロベースで見直す」などといって、原発推進をあらわにしていますから、どうにかしなければいけないな、などと考えて歩いてきました。

2013年1月21日月曜日

釈迦岳に登りました


御前岳頂上の霧氷
 1月19日、大分県との県境にある福岡県の最高峰・釈迦岳(1,231m)と御前岳(1,209m)にひとりで登ってきました。去年の1月5日、正月帰省をしていた息子と、福岡に住む長女の3人で登って以来です。

 天気予報は曇り午後晴で、空は予報通りの薄墨色、ぱっとしません。登山口は福岡県矢部村の「杣の里」。国道442号と分かれて、「杣の里」に入る道路は雪が残っていたり、凍結していたりで懸念されるところですが、この日は無難に通過。スパッツなどの身支度をして、積雪数センチの登山道に入ります。

 純白の雪には、けものの足跡のほかトレースはありません。足場の悪い小さな沢をいく度も渡渉を繰り返し、約1時間で御前岳のほぼ中間にある峰越林道着。ここで雨具(上着)とアイゼンを装着。徐々に増えた積雪と、霧氷の急坂をさらに約1時間登って、御前岳山頂に立ちました。

釈迦岳の頂上がのぞく
釈迦岳はここから三つほど小さなピークをアップダウンしながら、霧氷の林を辿ります。この日の霧氷は、冷え込みが厳しかったせいか、モンスター並みに大きく発達しでいます。しかも厄介なのは、登山道脇の小灌木が霧氷の重みで垂れ下がり、登山道をさえぎっていることで、ここを通過するには、灌木を持ちあげてくぐらねばなりませんが、氷塊がばりばり音を出して崩れ、首筋などに落ちてきます。雨具はそのために着ているのですが、なにせ不愉快です。疲れもいや増して、その都度空を仰いで一息入れました。

 1時間近く苦闘して、霧氷の樹海の中から100m近くそそり立っている釈迦岳が見えてきました。急坂の雪に埋まっている鎖やロープを掘り出して登っていると、釈迦岳から下ってくる登山者と出会いました。今日初めて出会う登山者です。互いに声を出して別れました。山頂着12時20分。登山口からだと3時間35分かかりました。

釈迦岳から御前岳をのぞむ
 くたびれてはいましたが、着衣は湿っぽいうえ、寒くて昼食にする気にはなりませんので、直ちに矢部越に下山。20代か30そこそこの青年が3人、それぞれ4駆を駆って登って来ていて、ちょうどコーヒータイム。私にも気前よく一杯ふるまってくれたので、ザックのドーナッツをとりだして昼食。しばらくおしゃべりして、別れ際にお礼をいい、「杣の里」に下ってきました。13時50分でした。

 ふだん、なじみの九千部山を5時間は歩いていて、翌日ふくらはぎや腰が痛いなどの後遺症が残ることはありませんが、昨日今日は少々痛みが残っています。トシは争えないものです。



豪華絢爛・霧氷の森

2013年1月3日木曜日

結婚50年を祝う


結婚50年記念の花束
  今年の正月は、私たち夫婦の結婚50年。子どもたちが腕をふるった、御馳走をそれぞれ持ちより、赤い花束やお祝い金を用意してくれるなど至れり尽くせり。5人の孫も揃って、記念すべき元旦になりました。子どもは「お友だちには、親の介護で疲れている人も多いのに、うちの親は手がかからないから助かるわ」と、こもごもに殊勝なおことば。これじゃ、容易にダウンできないな…。

 お膳に並んだ御馳走を、参考までに書いておくと、長女はニョッキのトマトソースと筑前煮。義父の金箔入り吟醸酒、義母手作りのローストビーフ付。次女は刺身盛り合わせと黒豆。息子はココナッ&トマトカレー。嫁は生春巻きとローストビーフ。おまけに義父のブリの刺身と盛り沢山。ついでに、私は中華おこわと茶碗蒸し。妻は数の子、酢の物などで、大人も子どもも十分に満足しました。食事の後の、子育てについての白熱したデスカッションも、有意義でした。

持ちよりご馳走の一部です

 2年前から山登りに夢中になっている、帰省してきた息子は、おおみそかの31日、電車で宝満山・難所ヶ滝に行きましたが、結氷は始まったところで、雪は山頂稜線に少しというところだったよう。私の登り初めは、今日3日、行先は九千部山(848m)。冷たい風が吹き、風花が舞い、750mより上は積雪数センチ、頂上の温度計は-6℃で、手袋をはめている指先が凍える冬山気分を味わってきました。




九千部山の森

 年末に発足した安倍首相は、自民の中でも原発推進の札付き・甘利氏を経済再生担当大臣に据えたうえ、30日のTBS放送で「新たに作っていく原発は、事故を起こした福島第1原発のものとは全然違う。国民の理解をえながら新規に作っていく」と述べて、原発ゼロを願う国民に真っ向挑戦。ことし私たちは、原発ゼロの手をゆるめることはできませんね。