2014年1月29日水曜日

「沖縄本島と伊江島を訪ねる旅」ツアーに参加して


 新日本婦人の会川越支部有志と富士国際旅行社が企画・実行した、19日から3泊4日のツアー「沖縄本島と伊江島を訪ねる旅」に、妻とふたりで参加しました。参加者は総勢26名(添乗員除く)。私たち2名を除く24名(うち男性は2名)は、埼玉・東京・栃木からの参加で、私たちは福岡空港から、ほかは羽田から搭乗し那覇空港で合流しましたが、すぐに打ち解けました。 

 というのは、那覇空港バスターミナルで、貸し切りバスに乗り込むと、新婦人・川越支部の代表が、ツアー計画時に参加者が25名を超えた場合には、旅行社が一人につき2千円のボーナスを出す契約をしていたが、26名になったのでこれが支払われます。ついては、全員のボーナスを基地反対でたたかっている、辺野古・伊江島・東村高江の三ヶ所に贈りたいと思いますが、どうでしょうか?と提案。全員一致で可決された瞬間から、参加者のこころがひとつになったのでした。 

辺野古のテント前で説明を聞く

初日に訪ねたのは、故瀬長亀次郎氏が残した膨大な資料と、沖縄の民衆のたたかいを記録した、那覇市内の資料館「不屈館」。つぎに、周辺の戦跡見学を兼ねて、車で走ってもはしっても続く、広大な普天間基地と嘉手納基地見学。普天間には、問題のオスプレイが羽を休めていました。
ここからさらに北上し、うるま市で、映画「ひまわり」のテーマになった宮森小学校ジェット機墜落事件について、当時の先生から事故の生々しい状況を伺いました。夕食後、当日行われた名護市長選の、「当選確実」報道に沸く、市内の「稲嶺ススム選挙事務所」を訪問。沖縄の人々といっしょに「歴史的勝利」を祝いました。 

2日目は眼もさめるような遠浅の海を前に、新基地建設に反対してたたかっている、辺野古漁港のテント訪問。続いてうっそうたる樹海が広がる、北部の山原(やんばる)の東村・高江。ここはベトナム戦争時には住民をベトナム人に擬して、激しい訓練が行われていた、世界最大の米軍ジャングル演習地。こんどはここに住む住民を囲むように、直径75mの、オスプレイなどの大型ヘリ用ヘリポート6ヶ所を建設するための作業がはじまり、これが完成すると、貴重な動植物は絶滅し、住民は暮らせなくなるので、作業を阻止するために監視しているのです。
 
伊江島の「団結小屋」
3日目は、本島の本部半島から西北約9kの洋上にある伊江島。島の路傍には、黄色い菜の花が風に揺れ、島のシンボル・城山(通称タッチュー)には、ツバキやハイビスカスの赤い花が咲いていて、のどかに見えました。しかし先の激しい戦争では、住民と軍人の約4700人が戦死し、米軍が上陸してくると、残った住民は全員渡嘉敷島に強制移住させられ、2年後に帰島した後の1955年には、全島基地化を企図したブルトーザーと銃剣による土地取り上げがはじまり、これに反対する長いたたかいがつづいているところ。島内の現場と戦跡を観て回り、反対闘争の指導者・阿波根昌鴻氏が建設した「わびあいの里」を訪問し、「資料館」を見学したあと、謝花悦子代表から話を伺いました。
このあと本部港に戻ると、ツアー唯一つのお楽しみ、「美ら海水族館」の大水槽で泳ぐ、ちょうど給餌どきのジンベイザメ・マンタ・イルカなどを見て楽しみました。
また、同日夜は那覇市に戻っての自由行動。多くの人は「民謡ライブ居酒屋」に出かけましたが、私たち夫婦は、近海魚をアテに泡盛を飲ませる近くの居酒屋で、酒蒸し・唐揚げ・雑炊などを満喫し、泡盛を痛飲しました。
 
この日の朝、ホテルで見た新聞には、19日の選挙で埋め立て反対の民意が示されたばかりなのに、政府が辺野古の埋め立て工事などの、調査・設計を行う業者を選定する入札を公告し、「県から埋め立ての承認が得られているので、法令にしたがって着実に進めていく」と、防衛相のコメントが載っていました。
これが民主主義の国のやることか。いったい、どこの国の政府か! 怒りがふつふつと湧きました。 


伊江島のハイビスカス
4日目は「オプショナルツアー」として、「首里城と沖縄南部の戦跡めぐり」が計画されていましたが、私たちはこれには参加せず、那覇市の「那覇市歴史博物館」と国際通りの壺屋やむちん通りなどをぶらぶら歩き、壺屋焼きで小ぶりな飯椀を買ってきました。
那覇市の人口は33万人余、私が住む町とほとんど同じですが、新聞に「昨年の来島者600万人」と書かれていたのを裏書きするように、にぎやかで垢抜けしており、段違いの印象が残りました。 

帰宅して前泊博盛編著「日米地位協定入門」を開くと、哲学者・高橋哲哉東大教授は、米両政府を「宗主国」、沖縄を「植民地」と位置づけておられると 紹介されていますが、私も沖縄をはじめて訪ねて、同じように、沖縄はアメリカと日本政府から植民地なみに虐められている。不正義きわまる! 日本人としてこれは変えねばならぬとつよく感じました。そして同じ本にあるよう、日本の主権を奪って、「全土基地方式」を定めている日米安保条約と「日米地位協定」を破棄しなくてはならぬ、そうしてこそ、辺野古もやんばるも伊江島も、平和にできると思ったところです。