2011年7月31日日曜日

うらめし 雨つづきです








 新潟・福島とは比べようもありませんが、27日からずーっと雨模様の日和です。このため、28.29日は弟と北ア・針の木と蓮華岳に登る予定でしたが中止。同じ時期に、九州・関西から訪れた友人と、常念・蝶に登った安曇野の友人・哲ちゃんは、常念・蝶の稜線は大雨強風で、下着までびしょ濡れで苦労したと語っていました。








 このようななか、30日朝には弟の奥さんがヒュッテにやってきて、夕方には同じく長男夫妻も到着しましたので、けっこう盛り上がりました。しかし、運動不足は免れません。で、31日朝、、朝食後2Kくらい下の集落まで散歩してきました。買い物などで毎日車で通っている道ですが、歩いてみると、さまざまな草花・樹木・畑・水田・家屋が並んでおり、いつもと景色が違って見えました。しかし、帰りにはうらめしい雨にあって、身体も衣服をじっとり湿らせてしまいました。








 新聞・TVは九電の「やらせメール」どころか、保安院自体が全国の電力会社に「やらせ」を指示していたと報じています。「原発安全神話」のからくりが、また一つ暴かれていきます。






 写真は、当地の道端で見かける今盛りの純白のウツギです。

2011年7月27日水曜日

カミサン帰る










 カミサンは25日に帰りました。別れを惜しんで、24日、弟と3人で、東急リゾートの八子ヶ峰トレッキングコースを歩きました。26日は弟と二人で、麦草峠から茶臼岳に登りました。両方とも3時間くらいのアルバイトですから快適でした。昼飯は帰荘して、ベランダにホットプレート広げて食べました。もちろんビール付です。










 16日にヒュッテに来て以来、私の担当は賄いです。カミサンがいた間は、朝食の味噌汁はカミサンが拵えましたが、ほかは私が献立を考えて作ってきました。朝は飯・味噌汁・漬物のほかに、小松菜のさっと煮、ニラ玉、いんげんの卵とじなどの副采一品。昼はパンと牛乳のほかにサラダ、焼きソーメンや冷麺。夜はホットプレート料理・ハンバーグ・マーボーなす・ポテトグラタン・豚肉とかぼちゃのカレー煮など、簡単にできるものばかりです。





 さいわい、弟は三食きっちり食べて、少々太ったようだとはいっていますが、とにかく、なんでも苦情をいわずに食べてくれるので助かっています。 苦労するのは、最寄りのお店が7.8K下がった場所にあること、高度が高く、沸点が低いためでしょうか、人参やジャガイモなど固いものが、なかなか煮えないことです。ここでは高圧鍋が必需品です。






 写真上は八子ヶ峰で、下は麦草峠野草園で写しました。

2011年7月25日月曜日

霧ヶ峰のニッコウキスゲ

 大町でカミサンたちが「縮小同窓会」を催し、その亭主たちはOさんのご主人の手料理に舌つづみを打って酩酊した翌22日朝、6人が車に乗って美ヶ原経由霧ヶ峰に行きました。ニッコウキスゲは満開でしたが、今年は鹿の食害が甚だしく、花の周りを電線で囲ってありました。蝶々深山の取り付からから沢渡への草原では、たくさんの花を観て楽しみました。








2011年7月23日土曜日

聖山に登り、Oさん宅に泊る

 長野県のほぼ中央にある聖山(1,447m)。ガイドブックによれば、同山はその名がしめすように、古くは戸隠山と同じく、聖たちの修行の山であったそうですが、今では山頂直下まで車道が伸び、展望も優れているので、多くの人に親しまれている様子です。


 7月21日。この山にカミサンと三和峠(1,200m)から登りました。道中はミズナラ・カエデ・シラカバ・カラマツなど、多くの樹木に囲まれた歩きやすい道で、涼しい風がほてった身体を吹き抜けます。目の高さにはノリウツギやヤマアジサイが清楚な花をつけ、足元にはウツボクサの鮮やかな紫が点々とつづいています。70分余で着いた山頂には、多くの小学生がにぎやかに弁当を広げていました。肝心の展望は、青空は広がっているのに、遠い山際には厚い雲が重なり、鹿島槍・五竜・白馬など、北ア北部の山の頭頂部がのぞいていただけでした。











 下山して大町のOさん宅に向かいました。もともと、この時期に信州に来たのは、カミサンが働いていたころの「同窓会」が、今年は立山と大町を舞台に催される計画だったから。世話役のOさんやNさんは、関西の人で、のちにこちらに移住されたものです。しかし、先の第6号台風で、関西の同窓生が来れなくなったので、ことしの「同窓会」は中止。しかし、台風前からこちらに来ていたカミサンは、OさんNさんのほか、関東のTさんの4人で、予約していたOさん宅そばのペンションで「縮小同窓会」を実施することにしたのでした。カミサンをOさん宅に送ってきた私は、Nさんのご主人とともに、Oさんの御主人の手料理のご相伴にあずかり、泊めてもらうことになったのです。Oさんのご主人も、Nさんのご主人も昔からのなじみですから、私たちも「同窓会」をやっているようなものといえましょう。






 それにしても、Oさんの大町のお住まいは、古民家の材木を使って建てられた見事ものでした。しかも、窓を開けば餓鬼岳から白馬までの大パノラマが広がります。Oさんのご主人の手料理は玄人はだしです。夜が更けるまで、銘酒をいただきながら歓談しました。






 写真は上から聖山の赤い木の実、Oさん宅の食堂、手料理の一部。 

2011年7月19日火曜日

八ヶ岳山麓の「北八ッヒュッテ」に来ています

 7月15日正午前、カミサンといっしょに家を出て、高速道路約1,000Kを走り、16日午前0時諏訪インターのゲートを通過、弟が過ごしている八ヶ岳山麓の「北八ッヒュッテ」に到着。同じころ、東京都下に住む息子一家も三連休でやってきましたので、到着直後、みんなで旧交を温めにぎわいました。こちらは1,300mの森林帯の高所で気温は20度前後。快適です。


 16日は、このところ減量目的で山登りをはじめた、息子に促されて守屋山(1,650m)に登りました。しかし、5.6月は登っていないところにもってきて、当日はかんかん照り。アブや蠅にもまといつかれて、相当なダメージを受けました。



 息子は17日にも登るといいましたが、私はキャンセル。弟が息子と嫁さんを案内して硫黄岳に登り、私たち夫婦は孫を連れて「八ヶ岳農場」で遊んできました。3歳になったばかりの孫は、清々した広場を走り回り、ヤギやポニーを間近にみてご機嫌でした。











 写真上は守屋山山頂、下は硫黄山のグンナイフウロ。弟が17日に写したものです。

2011年7月15日金曜日

朝日新聞 「脱原発」鮮明に









 日差しがまぶしい、梅雨明けです。節電で例年に増して熱中症患者が多いとのことですから要注意です。

 7月13日付『朝日新聞』には、1面左上段に「いまこそ 政策の大転換を」の4段抜き見出しが踊り、論説主幹による白抜き脇見出しの「提言 原発ゼロ社会」が掲げてあります。そして10.11面見開きで、自然エネルギーを活用しながら、耐用年数に達した原発を順次廃止していく、「脱原発への道筋」「廃棄物の処理」「自然エネルギー政策」「新たな電力体制」などの総合的な脱原発政策を展開しています。

 『世界』に連載されている、神保太郎「メディア批評」(6月号)によりますと、「フクシマ」以後、巷では反(脱)原発のデモが波状的に行われ、その動画がネットに大量にアップされているのに、マスメディアはそれらに一向に目を向けようとしなかったが、全国紙ではまず「毎日新聞」が4月15日朝刊で、「震災後 地震国の原発」の見出しで、「政策の大転換を図れ」とする社説を掲げたとあります。

 また『朝日新聞』は、4月20日付朝刊に「脱・依存へかじをきれ」の社説を掲げて、これに続いたそうで、今回の「提言」はこれをいっそう具体化したものと思われます。私はこれを大いに歓迎します。

 もっとも、先の『メディア批評』には、読売や日経は引き続き原発維持を主張しており、大メディアのうち、原発と共振してきたテレビは、いまのところ態度を明らかにしていないというから油断ならないところです。


 写真は硫黄岳のオダマキ、正雄さんが7月17日に撮影したものです。

2011年7月2日土曜日

反(脱)原発と原発維持(推進)

 経産相は停止中の原発再開にむけ、玄海原発が立地する佐賀県知事を訪ねて、「玄海2.3号機の安全性には国が責任を持つ」と表明。会談後、知事は「安全性の確認はクリアできた」と話して再開容認に姿勢を示した、と6月30日の朝日新聞トップ。福島原発の収束目途はたっていない、同事故原因の究明はこれからというのに、どんな「安全性」ですか? 退陣を表明している政府が、責任は持つというのも無責任じゃないですか? まるで田舎芝居!


 「反(脱)原発、自然エネルギー移行」の世論は、急速に高まりつつありますが、「原発を止めれば停電が増える」、「企業は海外に逃げ、経済成長が止まる」の恫喝まがいの声もかまびすしい。また、水力発電ではダム決壊で数万人の事故を出した例もある、火力発電の燃料となる石炭採掘では、落盤事故で多くの犠牲者を出している。原発だけが危ないのではない、と主張する「専門家」も目にとまりました。
 
 しかし、原発事故が他の事故と異なるのは、「フクシマ」の事故が示すように、いったん放射能が漏れたら、空・海・土地を限りなく汚染し、しかも何十年・何万年に亘ってそれが続くことです。それに、たとえ事故が起きなくとも、使用済み燃料や燃えカス(死の灰)を、安全に保管する方法は確立されていません。「あとは 野となれ 山となれ 」という無責任なことでいいのでしょうか。

 海外では、すでに反(脱)原発に踏み出した国が少なくありません。日本でもそれができないはずはありません。



 写真はカミサンが目下熱中している、桑の実ジャムのケーキです。