2013年6月28日金曜日

冷麺のたれとめんつゆ

 暑くなってからの、わが家の昼食の定番のひとつ-冷麺。昨年まではスーパーで袋入りを買ってきて食べていましたが、「NHKきょうの料理」に「冷し中華のたれ」レシピが出ていたのでこれを作り、生めんをスーパーで買ってきて、我が家の家庭菜園でできるきゅうり・トマトをトッピングして仕上げています。たれは、炒め物やてんぷらのつゆにも、利用できるから便利です。オリジナルな味でいけます! 

 たれの作り方は、酢大さじ(以下同じ)6、しょうゆ8、ゴマ油・砂糖・酒各4を金属のボールにいれてよく混ぜ、2.3分湯せんにして、砂糖を溶かしアルコールをとばし、粗熱をとって、冷蔵庫で冷すだけだから簡単。私は砂糖を大2にしていますが、それは好みで。また、圧力鍋で鶏を蒸し煮にした日は、身は刻んでトッピング用に、だしはしょうゆ・塩・ゴマ油・酢を混ぜてたれにしていますが、これもいいです。


 
本日の冷麺です

 参考までにわが家のめんつゆ。ただし、これはさる有名料理人が書いていたものですが、みりん2カップを沸騰させてアルコールを飛ばし、しょうゆ2カップを加えて沸騰したら、削り節30g加えてすぐに火を消し、粗熱をとって削り節を引き上げます。これはフライパンで軽く炒ってふりかけで食べます。めんつゆのほか、煮物などに広く使えるので重宝しています。

2013年6月22日土曜日

原発事故作業員の死亡3,000人ー政治評論家・板垣英憲氏

つぎつぎに花をつけるノウゼンカズラ
 このところ問題になった高市氏の発言について、政治評論家・板垣英憲氏は、「ヤフーニュース」20日付けの「高市早苗自民党政調会長の無知な原発事故ゼロ発言…」と題する評論で、「原発事故収集に当たってきた作業員2万から3万人のうち、すでに3,000人以上が亡くなっている。また、子どもの放射能被爆も広がっているのに、福島大学などがこれを隠している」(以上要旨)と書いています。これが事実なら、ことは弁解などで澄むものではありません。速やかに事実を明らかにすべきではないでしょうか。

 一方、原発再稼動問題。原子力規制委員会が、去る19日新規制基準を決定し、7月8日には施行される予定ですが、各電力会社は、即再稼動申請を行う模様です。茂木経産相は21日の記者会見で、「仮に電力会社から、12基なり13基申請が出て、稼動できることになれば、総発電量の1割をカバーすることになる。その時期は最短この秋となる」(要旨)と意欲満々です



 今日22日、妻と2人の障害者といっしょに映画「ひまわり」を見てきました。多数の幼い命を奪った、宮森小学校へのジェット機墜落事故、沖縄国際大学へのヘリ墜落事故から長い時間が経ちましたが、沖縄にはオスプレイの配備や、辺野古新基地建設計画などが押し進められ、その不安・苦しみは一向に軽減されていません。映画では耳を劈く爆音が、観るものの心に重くのしかかってきました。これも原発再稼動問題とともに、7月の参議院選挙の重要な問題です。

 
 16日から咲き始めたノウゼンカズラは、降り続く雨にも負けずいまや満開、アジサイはやや苦戦中です。


2013年6月9日日曜日

ポスターを貼り出し、原発再稼動に反対

 マスコミや一部の経済学者などから不況脱出の切り札といって、さんざんもてはやされた「アベノミクス」(浜子同志社大学教授は「アホノミクス」と呼んでおられるが…)は、5月下旬以来の相次ぐ株暴落で、少々メッキがはげかかっていますが、新たに計画されている、「第三の矢」と称する「規制緩和」・「骨太方針」・「成長戦略」も、庶民にとっておぞましいものばかり。

日本共産党のポスターを貼り出す

 たとえば「成長戦略」のなかの原発。
 福島原発では、放射能混じりの汚染水が、近々あふれかねない危機一髪の状況がつづいています。また5月16日には、原子力規制委員会が、高速増殖炉「もんじゅ」のずさんな管理に鑑み、運転再開停止を命令すると決め、廃炉は避けがたいといわれています。にもかかわらず、「方針」には、「原発再稼動を進めるため、政府一丸となって最大限取り組む」と原発活用を掲げる一方、原発輸出を念頭に、「2020年には、30兆円のインフラ輸出を行う」として、GWには首相が大勢の財界人を引き連れ、「原発トップセールス」に出かけており予断は許されません。

九千部山の花ー6/4
 
 もちろん、全国の原発再稼動に反対し、廃炉と再生可能エネルギーへの転換を求める国民の声も、毎週金曜日のデモや、6月2日の反原発大集会に見られるように、決して少なくなってはいません。このうえは、目前の東京都議会選挙と参議院選挙で、「即時原発ゼロ」をかかげる唯一の政党・日本共産党を躍進させ、自民党とそのとり巻き政党を追い込んで、止めを刺さねばなりません。私はそう考えて、わが家の入り口に、日本共産党の反原発ポスターを掲げました。







 畑仕事では、トマトもきゅうりもナスも紫蘇も順調に育っています。カミサンはちょうちょやアオムシガ少ないのは、PM2.5のせいじゃないかしらなどといっていますが、雑草の活動は活発で、ことに手ごわいドクダミ・ハマスゲ・メヒシバの駆除で悪戦苦闘中です。


ガクウツギー6/4九千部山
 

 山登りでは、6月4日に九千部山に登ってきました。5月8日以来です。山は花の季節で、頭上のエゴノキやヤマホウシ、足元のガクウツギのほか、名前を知らない多くの白い花に迎えられ、日当たりのよい林道ではキイチゴが鈴なり、それを頬張って坂道を登りました。しかし、登山間隔が開いたせいか、以後2日間は大腿とふくらはぎが凝って痛みました。三浦さんのようにはいきませんね。

2013年6月1日土曜日

Nさんの見舞いをかね、北浦海岸を訪ねる

 Nさんからもらったことしの年賀状に、パーキンソン病を患っていると書いてあったので、電話でご様子を伺い、患者の闘病記専門店「パラメディカ」から関係本数冊を取り寄せて送り、暖かくなったら伺いますといっておいたので、少し遅くなりましたが、5月30日、妻と山陰・北浦海岸の、海辺に近い同氏宅を訪ねてきました。

 Nさんは同じ会社の1年先輩、私とは違って根っから穏やかな人で、在職中は無軌道な私ともこだわりなく付き合ってもらいましたが、私が1975年に会社を辞めてからお会いしたのは'76年の一度きりで、以後は年賀状を交換するだけの関係になっていました。したがって、お会いするのは実に37年ぶりです。

 近くまで行って、電話でお宅の場所を尋ねたので、Nさんも奥さんも家の前で待っておられました。Nさんは歩行がやや不自由で、ステッキを右手に持っておられました。顔・形は年相応の老けようですが、昔の面影ははっきり残っています。ただし、あとで聞いたところでは、聴力が衰え補聴器は欠かせず、通院に必要な車の運転も不安があるので、免許証は返上したとのことでした。逆に、私については、道で出会ってもとても確認できないといわれ、流れた年月の長さを、たがいに思い知りました。

きれいな海をまたぐ角島大橋
 Nさんは病気治療のため、小倉と近くのの病院に通っており、これがなかなか骨がおれる由。唯一の楽しみは畑仕事で、住まいに続く納屋には小さな耕運機も置いてあり、約60坪の畑はきれいに整地され、トマト・きゅうり・サツマイモ・三度豆などが整然と植えてありました。私はリビングに置いてあった、子どもが置いていったという、パソコンがまだ使えるのをたしかめ、これを使って楽しみの領域を広げられるように勧め、そのために私が支援することを約束してきました。

 下関市北部の北浦海岸は、当時は豊浦町、豊北町とよんでいましたが、実は私がサラリーマンとして、最後の1年を送ったところです。Nさんのお見舞いに、妻が乗り気だったのも、おそらく同じように、懐かしい思い出の地だったからでしょう。

中本たか子生誕碑
 このため私たちは、Nさんを訪ねた機会に、山の中にある大河内温泉で入浴したうえ、当時は渡船で行き来していた、角島に車で橋を渡り、食事した後、食堂でもらった地図に載っていた「中本たか子文学資料館」を訪ねてきました。しかし、残念なことに、「資料館」はすでに『下関市立近代先人顕彰館』に移転し、生誕碑と歌碑だけが生垣沿いに残っていました。


 「Wikipedia」によると、中本たか子は1903年角島に生まれ、1930年東洋モスリンの女工オルグ中拘束され、以後保釈・入獄を繰り返し、1941年には蔵原惟人と結婚、1991年に亡くなるまで、詩・歌・評論・小説などを書きつづけたようで、私は「わたしの安保闘争日記」(1963年刊)しか読んだ記憶がありませんが、中央から遠く離れた孤島から、ひとり荒海に漕ぎ出した、女性活動家に思いをめぐらしたところです。