2013年12月30日月曜日

九千部山雪化粧


 東京で暮らしている息子は、それまで見向きもしなかった山登りに、どういうわけか、3年前から夢中になって、このところ年間50日くらい登っている様子です。仕事が休みの日にはたいがい山行している勘定で、休み明けの「ヤマレコ」には、決まって山行記録が更新されています。 

28日の帰省に際しても、九州の山に登るつもりで、大型ザックを背負ってきて、29日は九千部山でいいから登ろうとせっつきます。このため、大掃除は一日延期して、親子ふたり九千部山に登ってきました。九千部山に登るのは、息子ははじめてで、私にとっては今年22回目です。 

 私たちへのご褒美でしょうか、九千部山はこの冬はじめて、純白の雪をまとっていました。雪線は6合目くらいからで、山頂近くでは10㌢から15㌢、靴の甲が沈みます。陽がかぁーつと輝くと、
周囲は文字通りの銀世界でした。

2013年12月15日日曜日

「光輝好嶺者」の仲間入り


間もなく、ことしも終わります。ことしの山行回数は全部で33回、全部日帰りで、このうち9回は夏の八ヶ岳遠征時の山行、21回は近くの九千部山行き。あとの3回が久住山と釈迦岳・御前岳行でした。 

私が時々、「山友」のEさんに、九千部山行も80才までですよ、というからでしょう。先月、下に掲げた新聞の切り抜き「男の気持ち」を下さいました。これを読むと、86才で週1.2回は福智山に登り、ほかに自宅近くの足立山に登っておられる、「光輝好嶺者」が県内におられる由。いまのところ、私はどこといって悪いところはないので、精進すれば「光輝好嶺者」に仲間入りできるかもしれない、と師走の大掃除をしながら思いをはせています。

 



2013年12月2日月曜日

ドキュメンタリー映画「フード・インク」が教えるもの


 11月26日、当市の自主映画サークル「久留米稲の花」が上映した、アメリカの独占企業やこれと一体の政治家が支配する、アメリカの農業・食糧に切り込む米ドキュメンタリー映画・「フード・インク」(2008年制作)を鑑賞しました。題名のフード・インクとは、農業・食糧が消費者の安心・安全を前提に、風土や気象条件に応じて、行われなければならないのに、アメリカでは利潤第一をモットーに工業製品化され、安心・安全は二の次で提供されている実態を指して、批判していると理解しました。 

大地の上を動いているのは大型コンバインだけの、地平線までつづく人っ子ひとりいない農場。立ち並ぶ馬鹿でかい鶏舎や牛舎。ただし鶏舎や牛舎の中は、排泄物にまみれた鶏や牛がぎゅうぎゅう詰めで、(悪臭に満ちて)います。家畜は十分歩き回れないので、足が弱ってよたよたとしか歩けず、倒れる鶏や牛も少なくありません。エサは先の農場で収穫されるコーンだけ。これには、成長促進剤や抗生物質が大量に混ぜられています。
このような飼育方法によって、通常の鶏や牛に比べて、肉を数週間早く市場に出せ、経費を減らし、利益もそれだけ上がるといいます。「強欲資本主義」のお手本のよう。 

出荷先の精肉工場。一刻の休みなく、ベルトコンベアのうえを流れてくる、牛肉と格闘しこれを切り裂く人。能率を上げるために、終日同じ作業をつづけます。切り裂かれた牛肉は、(おそらく、糞尿やBSE肉が混ざっていてもいっしょくたです)目をむくような大型ミキサーに放り込まれてひき肉にされます。

働いている多くの労働者は、もとは農業を営んでいましたが、寡占大企業に追われ、アメリカ産の安いコーンに押しつぶされた、メキシコなどからの移民などで、病気などに罹れば即刻クビ。そうなると、同じような労働者が、即刻連れてこられます。
また、農民を離農させている原因の一つは「種の保存」。モンサント社は遺伝子組み換え技術を用いて、コーンの種を独占し、自家製の種を用いている農民を高額な賠償訴訟で脅し、自社の種を用いない農民を農業から追い出しています。 

街中のマクドナルドやファストフードショップ。若いカップルや黒人家族に人気のメニューは、ご承知ハンバーガー。家でブロッコリーを買って料理を作るより、こちらが手間がいらず、安くておいしいからといいます。その結果、子ども、とりわけ貧困家庭の子どもに、肥満と糖尿病が広がっています。
私は未だかってマクドナルドに入ったことがありませんが、この映画のグロテスクな画面を観ていると、ハンバーガーをとても食おうとは思いません。その意味でも、若い人や子どもや孫に観てほしいです。 

安倍自民党とその補完勢力は、数々の悪政で暴走中ですが、TPP参加にも前のめりです。しかしそうなると、アメリカからフード・インク農産物がどっと入ってきて、日本の農産物と農業は踏みつぶされるでしょう。このドキュメンタリー映画はそう語り、小売り最大手のウォルマートが、消費者の商品の原材料表示などを求める運動に対して、一部妥協する場面を写し、食品の安全、生産の持続性を維持していくために、消費者が賢くならねばならないと訴えます。