2014年3月8日土曜日

楽しかったよ どんぐり祭


 6年目を迎える新婦人・里山にどんぐりを植えよう会の「どんぐり祭」は、今年も井上果樹園さんの庭で開催されました。田主丸の井上さんの庭は、梅の古木が満開で庭の奥にある「ほだ木」には、しいたけがいっぱい出ていました。駒打ち・どんぐりのたね植え・しいたけ狩りなどを体験して、子どもたちも大人も楽しいひと時をすごしました。
 「里山にどんぐりを植えよう」は、CO2削減・子どもたちに自然に親しむ機会をつくる・自然の恵みを頂くことを目標にしています。東日本大震災以後は、震災の翌日が丁度「どんぐり祭」だったこともあり、以来震災支援も目票のひとつとなりました。
 数年前、子どもたちが植えた種が植樹をするまでに育ち、2月にはうきは森林組合さんに苗木100本を贈呈し、日田との県境にある真美野という山林の一角に植樹しました。一人ひとりの思いをこめたメッセージを書いた木の札を苗木に結びつけて、木の成長を願いました。
 「里山どんぐり」は、今3歳のこどもが種を植えて、20歳になる頃、植えた種が木に育ち、ほだ木としてしいたけができるまでになります。成人式をしいたけでお祝いしようという長い取り組みです。また、どんぐりで「コーヒー」や「どんぐりごはん」など、「どんぐり」も食べられることを伝えていきたいと思っています。
 縄文時代はどんぐりは主食でしたし、山にすむ動物たちもどんぐりを食べるものがいます。飢饉や災害のときはどんぐりを思い出してほしい。
 春になると、黄砂、PM2.5で九州はマスク人が増えましたよ。目にはマスクできませんからめがねと帽子をかぶって、「犯人スタイル」の人が増えています。どんぐり植えて木を植えて、マスクなしで歩ける春を楽しみたい物です。
                         











                                                                                                  


                                                                                              (今号は樋口裕子が書きました)
 
 

 

2014年2月10日月曜日

ことし初 雪の九千部山


1月には九千部山に2度登ったが、2度とも積雪なし。しかるに、数日前からの全国的な大寒波報道。今度は間違いないと確信して登る。7:30駐車場スタート、12:40下山。天気は曇りときどき雨(みぞれ)。登山道わきの灌木が、雪や氷雪の重みで傾いでいて、ウェアを濡らすので、終始ヤッケを着て行動。アイゼン不着用。所要時間は、雪のせいで普段より20分くらい余分にかかる。 

肝心の雪は、城山頂付近で木の根周りにちらほら現れ、中間林道(高度約640m)から上でずんずん厚くなり5-7cm。見上げる高木の小枝には、薄い霧氷もできている。陽が翳っているのが惜しい。

雪は一昨日以前に降ったものらしくシャーベット状で、足を踏み込むたびに、ガオーガオーと音をたてる。また、頭上の梢からは、氷雪がぼとぼと落ちてきて、頭やザックを打つ。数日前にはつよい風が吹いたが、そのせいで折れたと思われる枝が雪面に散乱し、なんともにぎやかである。縦走路に出ると、九千部山はカットして、石谷山に向かい四阿屋に下山。今年初の雪山はこうして終了。 

上に書いたように、九千部山に1月には2度登ったが、初登りのコースタイムは昨年並み。もう少しは続けて登れるような確信を得、2度目は「新鮮な酸素を取り入れてリフレッシュしたい」という、いままで登ったことがない二女との山行。こちらは歩きながら、過去に記憶がないほどの対話で、親子のコミュニケーションを増強。

また、5年を超えたトレーニングジム通いの初トレでは 、ジム内の計量器で計測したところ、昨年八ヶ岳以来の減量を維持してBMI21.6、内臓年齢は52才をマーク。お迎えは、まだはるかにというところらしい。

 

 

2014年1月29日水曜日

「沖縄本島と伊江島を訪ねる旅」ツアーに参加して


 新日本婦人の会川越支部有志と富士国際旅行社が企画・実行した、19日から3泊4日のツアー「沖縄本島と伊江島を訪ねる旅」に、妻とふたりで参加しました。参加者は総勢26名(添乗員除く)。私たち2名を除く24名(うち男性は2名)は、埼玉・東京・栃木からの参加で、私たちは福岡空港から、ほかは羽田から搭乗し那覇空港で合流しましたが、すぐに打ち解けました。 

 というのは、那覇空港バスターミナルで、貸し切りバスに乗り込むと、新婦人・川越支部の代表が、ツアー計画時に参加者が25名を超えた場合には、旅行社が一人につき2千円のボーナスを出す契約をしていたが、26名になったのでこれが支払われます。ついては、全員のボーナスを基地反対でたたかっている、辺野古・伊江島・東村高江の三ヶ所に贈りたいと思いますが、どうでしょうか?と提案。全員一致で可決された瞬間から、参加者のこころがひとつになったのでした。 

辺野古のテント前で説明を聞く

初日に訪ねたのは、故瀬長亀次郎氏が残した膨大な資料と、沖縄の民衆のたたかいを記録した、那覇市内の資料館「不屈館」。つぎに、周辺の戦跡見学を兼ねて、車で走ってもはしっても続く、広大な普天間基地と嘉手納基地見学。普天間には、問題のオスプレイが羽を休めていました。
ここからさらに北上し、うるま市で、映画「ひまわり」のテーマになった宮森小学校ジェット機墜落事件について、当時の先生から事故の生々しい状況を伺いました。夕食後、当日行われた名護市長選の、「当選確実」報道に沸く、市内の「稲嶺ススム選挙事務所」を訪問。沖縄の人々といっしょに「歴史的勝利」を祝いました。 

2日目は眼もさめるような遠浅の海を前に、新基地建設に反対してたたかっている、辺野古漁港のテント訪問。続いてうっそうたる樹海が広がる、北部の山原(やんばる)の東村・高江。ここはベトナム戦争時には住民をベトナム人に擬して、激しい訓練が行われていた、世界最大の米軍ジャングル演習地。こんどはここに住む住民を囲むように、直径75mの、オスプレイなどの大型ヘリ用ヘリポート6ヶ所を建設するための作業がはじまり、これが完成すると、貴重な動植物は絶滅し、住民は暮らせなくなるので、作業を阻止するために監視しているのです。
 
伊江島の「団結小屋」
3日目は、本島の本部半島から西北約9kの洋上にある伊江島。島の路傍には、黄色い菜の花が風に揺れ、島のシンボル・城山(通称タッチュー)には、ツバキやハイビスカスの赤い花が咲いていて、のどかに見えました。しかし先の激しい戦争では、住民と軍人の約4700人が戦死し、米軍が上陸してくると、残った住民は全員渡嘉敷島に強制移住させられ、2年後に帰島した後の1955年には、全島基地化を企図したブルトーザーと銃剣による土地取り上げがはじまり、これに反対する長いたたかいがつづいているところ。島内の現場と戦跡を観て回り、反対闘争の指導者・阿波根昌鴻氏が建設した「わびあいの里」を訪問し、「資料館」を見学したあと、謝花悦子代表から話を伺いました。
このあと本部港に戻ると、ツアー唯一つのお楽しみ、「美ら海水族館」の大水槽で泳ぐ、ちょうど給餌どきのジンベイザメ・マンタ・イルカなどを見て楽しみました。
また、同日夜は那覇市に戻っての自由行動。多くの人は「民謡ライブ居酒屋」に出かけましたが、私たち夫婦は、近海魚をアテに泡盛を飲ませる近くの居酒屋で、酒蒸し・唐揚げ・雑炊などを満喫し、泡盛を痛飲しました。
 
この日の朝、ホテルで見た新聞には、19日の選挙で埋め立て反対の民意が示されたばかりなのに、政府が辺野古の埋め立て工事などの、調査・設計を行う業者を選定する入札を公告し、「県から埋め立ての承認が得られているので、法令にしたがって着実に進めていく」と、防衛相のコメントが載っていました。
これが民主主義の国のやることか。いったい、どこの国の政府か! 怒りがふつふつと湧きました。 


伊江島のハイビスカス
4日目は「オプショナルツアー」として、「首里城と沖縄南部の戦跡めぐり」が計画されていましたが、私たちはこれには参加せず、那覇市の「那覇市歴史博物館」と国際通りの壺屋やむちん通りなどをぶらぶら歩き、壺屋焼きで小ぶりな飯椀を買ってきました。
那覇市の人口は33万人余、私が住む町とほとんど同じですが、新聞に「昨年の来島者600万人」と書かれていたのを裏書きするように、にぎやかで垢抜けしており、段違いの印象が残りました。 

帰宅して前泊博盛編著「日米地位協定入門」を開くと、哲学者・高橋哲哉東大教授は、米両政府を「宗主国」、沖縄を「植民地」と位置づけておられると 紹介されていますが、私も沖縄をはじめて訪ねて、同じように、沖縄はアメリカと日本政府から植民地なみに虐められている。不正義きわまる! 日本人としてこれは変えねばならぬとつよく感じました。そして同じ本にあるよう、日本の主権を奪って、「全土基地方式」を定めている日米安保条約と「日米地位協定」を破棄しなくてはならぬ、そうしてこそ、辺野古もやんばるも伊江島も、平和にできると思ったところです。

2013年12月30日月曜日

九千部山雪化粧


 東京で暮らしている息子は、それまで見向きもしなかった山登りに、どういうわけか、3年前から夢中になって、このところ年間50日くらい登っている様子です。仕事が休みの日にはたいがい山行している勘定で、休み明けの「ヤマレコ」には、決まって山行記録が更新されています。 

28日の帰省に際しても、九州の山に登るつもりで、大型ザックを背負ってきて、29日は九千部山でいいから登ろうとせっつきます。このため、大掃除は一日延期して、親子ふたり九千部山に登ってきました。九千部山に登るのは、息子ははじめてで、私にとっては今年22回目です。 

 私たちへのご褒美でしょうか、九千部山はこの冬はじめて、純白の雪をまとっていました。雪線は6合目くらいからで、山頂近くでは10㌢から15㌢、靴の甲が沈みます。陽がかぁーつと輝くと、
周囲は文字通りの銀世界でした。

2013年12月15日日曜日

「光輝好嶺者」の仲間入り


間もなく、ことしも終わります。ことしの山行回数は全部で33回、全部日帰りで、このうち9回は夏の八ヶ岳遠征時の山行、21回は近くの九千部山行き。あとの3回が久住山と釈迦岳・御前岳行でした。 

私が時々、「山友」のEさんに、九千部山行も80才までですよ、というからでしょう。先月、下に掲げた新聞の切り抜き「男の気持ち」を下さいました。これを読むと、86才で週1.2回は福智山に登り、ほかに自宅近くの足立山に登っておられる、「光輝好嶺者」が県内におられる由。いまのところ、私はどこといって悪いところはないので、精進すれば「光輝好嶺者」に仲間入りできるかもしれない、と師走の大掃除をしながら思いをはせています。

 



2013年12月2日月曜日

ドキュメンタリー映画「フード・インク」が教えるもの


 11月26日、当市の自主映画サークル「久留米稲の花」が上映した、アメリカの独占企業やこれと一体の政治家が支配する、アメリカの農業・食糧に切り込む米ドキュメンタリー映画・「フード・インク」(2008年制作)を鑑賞しました。題名のフード・インクとは、農業・食糧が消費者の安心・安全を前提に、風土や気象条件に応じて、行われなければならないのに、アメリカでは利潤第一をモットーに工業製品化され、安心・安全は二の次で提供されている実態を指して、批判していると理解しました。 

大地の上を動いているのは大型コンバインだけの、地平線までつづく人っ子ひとりいない農場。立ち並ぶ馬鹿でかい鶏舎や牛舎。ただし鶏舎や牛舎の中は、排泄物にまみれた鶏や牛がぎゅうぎゅう詰めで、(悪臭に満ちて)います。家畜は十分歩き回れないので、足が弱ってよたよたとしか歩けず、倒れる鶏や牛も少なくありません。エサは先の農場で収穫されるコーンだけ。これには、成長促進剤や抗生物質が大量に混ぜられています。
このような飼育方法によって、通常の鶏や牛に比べて、肉を数週間早く市場に出せ、経費を減らし、利益もそれだけ上がるといいます。「強欲資本主義」のお手本のよう。 

出荷先の精肉工場。一刻の休みなく、ベルトコンベアのうえを流れてくる、牛肉と格闘しこれを切り裂く人。能率を上げるために、終日同じ作業をつづけます。切り裂かれた牛肉は、(おそらく、糞尿やBSE肉が混ざっていてもいっしょくたです)目をむくような大型ミキサーに放り込まれてひき肉にされます。

働いている多くの労働者は、もとは農業を営んでいましたが、寡占大企業に追われ、アメリカ産の安いコーンに押しつぶされた、メキシコなどからの移民などで、病気などに罹れば即刻クビ。そうなると、同じような労働者が、即刻連れてこられます。
また、農民を離農させている原因の一つは「種の保存」。モンサント社は遺伝子組み換え技術を用いて、コーンの種を独占し、自家製の種を用いている農民を高額な賠償訴訟で脅し、自社の種を用いない農民を農業から追い出しています。 

街中のマクドナルドやファストフードショップ。若いカップルや黒人家族に人気のメニューは、ご承知ハンバーガー。家でブロッコリーを買って料理を作るより、こちらが手間がいらず、安くておいしいからといいます。その結果、子ども、とりわけ貧困家庭の子どもに、肥満と糖尿病が広がっています。
私は未だかってマクドナルドに入ったことがありませんが、この映画のグロテスクな画面を観ていると、ハンバーガーをとても食おうとは思いません。その意味でも、若い人や子どもや孫に観てほしいです。 

安倍自民党とその補完勢力は、数々の悪政で暴走中ですが、TPP参加にも前のめりです。しかしそうなると、アメリカからフード・インク農産物がどっと入ってきて、日本の農産物と農業は踏みつぶされるでしょう。このドキュメンタリー映画はそう語り、小売り最大手のウォルマートが、消費者の商品の原材料表示などを求める運動に対して、一部妥協する場面を写し、食品の安全、生産の持続性を維持していくために、消費者が賢くならねばならないと訴えます。

 

2013年11月24日日曜日

敬老会のこと、子どもの甲状腺がんのこと


だいぶ前ですが、11月3日は校区の敬老会でした。被招待者は77才以上、私は新入りです。当日はあいにく雨でしたが、久しぶりに背広にネクタイをしめ、会場の小学校体育館まで、カミさんに車で送ってもらい出席しました。式典では、日の丸を掲げた正面舞台に向かって国歌斉唱。つづいて市長(代読)・地区主催者・地区選出県議・市議などの、似たようなお祝いの言葉がつづき、次は日舞・大学生のマジック・くじ引きなどのアトラクション。ひと昔前にタイムスリップしたような、紋切り型の約2時間でした。ただし、ボランティアの親切で熱心なお世話には、頭が下がりました。
昼過ぎ、弁当と菓子をもらって帰ってきました。 

主催者によると地区在住の77歳以上は約1,200人、式典出席者は約350人とのこと。翌日届いた地区の広報誌によると、地区の世帯数は5,754世帯、人口12,475人、うち男子6,144名とありました。77才以上はおおよそ1割というところのようです。 

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 23日付ネットの「共同」ニュースによれば、イチエフの放射能の影響を調べている、福島県の「県民健康管理委員会」の発表によれば、甲状腺がんと「確定」した子どもは、前月の18人から26人に増え、全員手術を受け経過は良好といい、星北斗座長は記者会見で「現時点で甲状腺がんが原発事故の影響で明らかに増えている訳ではないと理解している」と述べたと報じられています。 

和田誠さんのイラストです
では訊ねますが、甲状腺がんが子どもに頻発しているのは、どうしてですか? 1ヶ月の間に8人も増えたのはどうしてですか? 原発事故の影響ではないという根拠はなんですか? 

福島の事故に関わっている国や自治体の医者や学者は、福島から北九州に避難してきた塚本さんが「10.11集会」で指摘したように、どうも放射線被曝を軽く見せようとしているように思えてなりません。 

これも前々回のブログに書きましたように、事故から27年経ったチェルノブイリでも、半世紀以上前に「核のゴミ」を川や湖に捨てたロシアでも、放射能による各種の被害が、長期に亘って発生しています。アメリカの学者マンクーゾ博士は「放射線被曝は、交通事故と違って目に見えません。時間をかけて徐々に影響が現われてくるものです。結果が出るまで20年も30年もかかるんですよ。スロー・デス(時間をかけてやってくる死)を招くのです」(内橋克人「原発への警鐘」より)といっていますが、私たちはこれを明記すべきではないでしょうか。