2013年1月31日木曜日

御前岳・釈迦岳に登りながら

御前岳山頂の灌木の雪

 由布か九重に行きたいが、ひとりで片道2時間以上車を運転するのは、ちとおっくうだ。それに登山口までの道路が凍結していたら、馬鹿をみる。釈迦・御前は19日に登ったばかりだが、車運転は由布・九重の半分で済むし、先日は霧氷がよかったのに、空は薄墨色で、写した写真はぱっとしなかったから、撮り直しもできる。それにしとこう。

 そう思って出かけた29日朝の冷え込みは厳しく、日向神ダムそばの温度計は-4℃、道路はところどころ凍結していて、そろそろ運転。しかし、442号と分かれる登山口の杣の里までは支障なし。8時35分、車を置いてスタート。空は紺碧の蒼空。飛行機が飛んだあとには、真っ白の飛行機雲の筋が残る。雪はここ数日降らなかったようで、わずかな積雪には靴跡が残っている。期待の霧氷は、残念ながら完全に雲散霧消である。

釈迦岳ー樹木の雪が光っています
釈迦岳に登ったあと、好天に誘われて、雨量観測ドームの展望台にも行ってみました。由布・九重・祖母・傾・根子・高岳・八方のほか、噴煙をあげている雲仙も見えました。これでいい気分になり、静かな森の雪道を歩いて、杣の里に戻ってきました。

ところで、私のような単独登山者は、行動中どんなことを考えているのだろうか。計画通り山行を安全に終えること。コースファインディングや足元に気を使うこと。周囲の景色・展望に目をやること。しかし、それは長い行動時間の中のほんの少しの時間で済みますから、あとは何を考えているのだろうか。私は今回の約5時間の行動中、数日前に山田洋次さんの「東京家族」を鑑賞したせいでしょうか、家族のことと、25年も前に亡くなった義母のことをしきりに考え、反芻していました。

釈迦岳山頂のお地蔵さま

つららはご覧のように











それと、安倍内閣の原発政策。民主党が打ち出した「2030年代原発稼働ゼロ」は具体的な根拠をともなわないので「ゼロベースで見直す」などといって、原発推進をあらわにしていますから、どうにかしなければいけないな、などと考えて歩いてきました。

2013年1月21日月曜日

釈迦岳に登りました


御前岳頂上の霧氷
 1月19日、大分県との県境にある福岡県の最高峰・釈迦岳(1,231m)と御前岳(1,209m)にひとりで登ってきました。去年の1月5日、正月帰省をしていた息子と、福岡に住む長女の3人で登って以来です。

 天気予報は曇り午後晴で、空は予報通りの薄墨色、ぱっとしません。登山口は福岡県矢部村の「杣の里」。国道442号と分かれて、「杣の里」に入る道路は雪が残っていたり、凍結していたりで懸念されるところですが、この日は無難に通過。スパッツなどの身支度をして、積雪数センチの登山道に入ります。

 純白の雪には、けものの足跡のほかトレースはありません。足場の悪い小さな沢をいく度も渡渉を繰り返し、約1時間で御前岳のほぼ中間にある峰越林道着。ここで雨具(上着)とアイゼンを装着。徐々に増えた積雪と、霧氷の急坂をさらに約1時間登って、御前岳山頂に立ちました。

釈迦岳の頂上がのぞく
釈迦岳はここから三つほど小さなピークをアップダウンしながら、霧氷の林を辿ります。この日の霧氷は、冷え込みが厳しかったせいか、モンスター並みに大きく発達しでいます。しかも厄介なのは、登山道脇の小灌木が霧氷の重みで垂れ下がり、登山道をさえぎっていることで、ここを通過するには、灌木を持ちあげてくぐらねばなりませんが、氷塊がばりばり音を出して崩れ、首筋などに落ちてきます。雨具はそのために着ているのですが、なにせ不愉快です。疲れもいや増して、その都度空を仰いで一息入れました。

 1時間近く苦闘して、霧氷の樹海の中から100m近くそそり立っている釈迦岳が見えてきました。急坂の雪に埋まっている鎖やロープを掘り出して登っていると、釈迦岳から下ってくる登山者と出会いました。今日初めて出会う登山者です。互いに声を出して別れました。山頂着12時20分。登山口からだと3時間35分かかりました。

釈迦岳から御前岳をのぞむ
 くたびれてはいましたが、着衣は湿っぽいうえ、寒くて昼食にする気にはなりませんので、直ちに矢部越に下山。20代か30そこそこの青年が3人、それぞれ4駆を駆って登って来ていて、ちょうどコーヒータイム。私にも気前よく一杯ふるまってくれたので、ザックのドーナッツをとりだして昼食。しばらくおしゃべりして、別れ際にお礼をいい、「杣の里」に下ってきました。13時50分でした。

 ふだん、なじみの九千部山を5時間は歩いていて、翌日ふくらはぎや腰が痛いなどの後遺症が残ることはありませんが、昨日今日は少々痛みが残っています。トシは争えないものです。



豪華絢爛・霧氷の森

2013年1月3日木曜日

結婚50年を祝う


結婚50年記念の花束
  今年の正月は、私たち夫婦の結婚50年。子どもたちが腕をふるった、御馳走をそれぞれ持ちより、赤い花束やお祝い金を用意してくれるなど至れり尽くせり。5人の孫も揃って、記念すべき元旦になりました。子どもは「お友だちには、親の介護で疲れている人も多いのに、うちの親は手がかからないから助かるわ」と、こもごもに殊勝なおことば。これじゃ、容易にダウンできないな…。

 お膳に並んだ御馳走を、参考までに書いておくと、長女はニョッキのトマトソースと筑前煮。義父の金箔入り吟醸酒、義母手作りのローストビーフ付。次女は刺身盛り合わせと黒豆。息子はココナッ&トマトカレー。嫁は生春巻きとローストビーフ。おまけに義父のブリの刺身と盛り沢山。ついでに、私は中華おこわと茶碗蒸し。妻は数の子、酢の物などで、大人も子どもも十分に満足しました。食事の後の、子育てについての白熱したデスカッションも、有意義でした。

持ちよりご馳走の一部です

 2年前から山登りに夢中になっている、帰省してきた息子は、おおみそかの31日、電車で宝満山・難所ヶ滝に行きましたが、結氷は始まったところで、雪は山頂稜線に少しというところだったよう。私の登り初めは、今日3日、行先は九千部山(848m)。冷たい風が吹き、風花が舞い、750mより上は積雪数センチ、頂上の温度計は-6℃で、手袋をはめている指先が凍える冬山気分を味わってきました。




九千部山の森

 年末に発足した安倍首相は、自民の中でも原発推進の札付き・甘利氏を経済再生担当大臣に据えたうえ、30日のTBS放送で「新たに作っていく原発は、事故を起こした福島第1原発のものとは全然違う。国民の理解をえながら新規に作っていく」と述べて、原発ゼロを願う国民に真っ向挑戦。ことし私たちは、原発ゼロの手をゆるめることはできませんね。