2013年5月12日日曜日

みどり萌えたつ 九千部山

山頂から見た直下のみどり

 なじみにしている、九千部山には各方向に登山口がありますが、私が登るのは専ら四阿屋(あずまや)登山口から。ここは家から最も近いうえ、登山者がわりに少なく静かで、広い駐車場があり、複数の周遊コースが選べ、どのコースも活動時間が概ね5時間くらい。私にとって、ちょうど手ごろなところが常用している理由です。

 

 そして、私がよく登っているのは、そのうちの九千部山の前山、城山(494m)を越えていく 城山~九千部山コース。登山口の鳥栖市案内板によれば、1499年筑紫満門氏が入部し、今日登山口にある神社一帯に居館を設け、城山山頂の勝尾城(かつのおじょう)を主城とし、周囲に支城を置き、1586年島津氏に滅ぼされるまで、東肥前・筑後・筑前の一部を支配したとあります。最後の城主は筑紫広門氏です。

見上げる樹木のみどり


 私はこの標示を見てから、島津との戦に破れた広門氏がその後どうなったのか、何となく気になっていましたが、先日近くの「ブック・オフ」の書棚で、佐野量幸「筑後川物語―筑紫広門の生涯」(葦書房 昭和62年刊)を偶然見つけて購入しました。



 この本によれば、島津氏に敗れた広門は、久留米市の南部にある大善寺に幽閉されましたが、全国統一をめざす豊臣秀吉によって島津氏が退けられた機会に、秀吉によって筑後上妻郡に1万8千石を拝領して抱えられ、その後慶長の役では朝鮮に出兵。関ヶ原の戦いでは西軍につき、それを理由に改易となり、68才で安らかに逝ったと書かれていました。

新緑で明るい登山道
ひっそり咲くヤマツバキ


本を読んだ直後の5月8日、このコースで九千部山に登りました。ことし10回目ですが、山全体がみどりに萌たち、谷筋の中木を藤棚にしたヤマフジは、紫いろで彩っています。幾度も通っているのに、初めて登るような新鮮な気分です。そのうえ、山頂直下の自然林内のヴァリエーションルートに、めったやたらと貼ってあった、テープも誰かがはがしていて清々しています。また、先日私がはがしたテープのことでは、鳥栖市役所に経過報告的なメールを出しておきましたが、5月6日に好意的な返信をもらっていましたから、山がいちだんと輝いてみえるようです。

 
 

 安倍自民党は憲法改正の第一歩として、96条の改憲要件を2/3から1/2に変えようとしていますが、改憲自認派の小林節氏(慶大教授・弁護士)は、「裏口入学」みたいなものと批判しています。全く卑劣です。


0 件のコメント:

コメントを投稿