2011年8月31日水曜日

炎天下 畑の雑草ぬき







 八ヶ岳山麓から帰ってきて、まもなく20日になります。覚悟してはいましたが、気温は向こうよりほぼ10度高い猛暑で、日中は我慢できても、寝はなにはエアコンを点けずにはおられません。もっとも、20日から24日にかけては雨続きで、この間はいくぶん涼しく感じました。代わりに、外出はままならず、うっとうしい日を過ごしました。


 4週間も家を空け、帰ってきてから雨続きだったせいで、畑は雑草の波に覆われていました。このため、天気が回復した8月25日から1週間、蚊にやられながら、草むしりで汗を流しました。いつものことですが、メヒシバ・ドクダミ・ハマスゲには手こづりました。ただし、深い草の中で、かぼちゃ2個、とうがん1個を見つけました。実生の作物で、思わぬごほうびです。


 このほか、恒例の「メタボ検診」を受診しました。こちらは蓼科での活動がよかったのか、昨年に比して、血圧と悪玉コレステロールの数値が、一段と良くなっていました。また、自動車運転免許証の更新も無事終えました。直後に、市から「後期高齢者保険証」が届きました。いよいよ最後のステージです。ただし、来年も蓼科に行って、山登りをするつもりです。
 





 8月26日には「自然エネ買い取り法」(略称)が成立しました。脱原発につながるよう、期待しています。
 

2011年8月13日土曜日

24日余のヒュッテ暮らし




 8月11日、高速道路1,000K余を無事走り抜き、午前0時3分、久留米ICのゲートをくぐって無事帰宅しました。26日ぶりです。盆に入ると、高速が混むに違いないと思って、余裕をみて離荘したのですが、全線を途切れることなく走っている大型トラックが、突然わがもの顔で進路変更して、脅かされるのにはへきへきしました。








 24日間ヒュッテ暮らしのうち、今年は例年になく雨の日が多かったので、山登りをしたのは9日。初めて訪ねたのは、聖山・針の木岳・蓮華岳の三山です。長大な針の木雪渓、路傍に点々とつづく蓮華岳のコマクサなどが、ことに印象に残っています。また、安曇野のNさん宅や今年から大町に移り住んだOさん宅に泊めていただき、台風で中止になったカミサン等の「同窓会」に、越谷から出てきたTさんには、ヒュッテで一泊してもらい、旧交を温めたのも楽しい思い出になりました。








 ヒュッテのオーナーの弟は、昨年から茅野の市街地にある予備校の講師となり、ひとりでヒュッテに定住。ヒュッテでは、授業の予習、びっしり生えた実生のシラカバやマツの移植、下草刈り、薪ストーブ用の薪割りなど、余念がありません。しかし、授業は主に夕方からですから、昼過ぎには帰荘できる山をちょくちょく訪ねているようでした。またY夫人は、ことし還暦だそうですが、相変わらず若々しく、デジタル端末会社で働いて、二週に一回の割でヒュッテに来て、リフレッシュされていました。






 私が滞在している間に、息子一家も二度やってきました。孫のKは、ここ数カ月の間に、語彙も豊かになり、開放的な自然のなかで、活発に走り回っていました。


 写真は八ヶ岳山麓の北八ッヒュッテです。

2011年8月9日火曜日

息子と登った阿弥陀岳で






 昔は見向きもしなかったのに、このところの息子は、「減量のための山登り」にご執心である。私は針の木・蓮華から下山してきて、こちらでの山行は打ち止めにしようと思っていたのだが、「ヒュッテ」にやって来ていたその息子が、もう一本登ろうと誘うので、8月7日、八ヶ岳・阿弥陀岳(2,805m)にふたりで行った。



 少々早起きして、朝食後、登山口の舟山十字路まで車を走らせ、6:40スタート。カラマツの葉が散り敷いた、緩やかな御小屋尾根を登る。御小屋山着8:00。手元のコースタイムより30分は早い。断然気を良くして、山頂に近い、急坂で歩きにくい悪場では少し苦しんだが、その後も順調に登りつづけ、山頂着11:00。途中、他の登山者とはひとりも遇わなかったけれど、山頂には10人以上の登山者が休んでいた。行者小屋の方から登ってきたらしい。


 持参の昼飯を食べ、11:20から下りにかかったが、急坂の不動清水の手前で「ゲリラ驟雨」襲来。あわてて雨具を着けたが、登山道はたちまち小川と化して、難儀なことおびただしい。しかし、ゲリラはゲリラ、小1時間であがったので、落ち着いて舟山十字路に下山。14:30であった。




 息子とふたり山登りをして、緩やかなトレイルでは、山登りついては無論のこと、自らの健康のこと、家族や親族のこと、仕事や職場のこと、原発や不正規労働ことなど、さまざまなテーマを気どらずに対話した。その中で、私は今まで気付かなかった、息子の考えややさしさも発見し、ふたりの距離は少し縮んだように思う。息子の「減量山登り」も、道端の花や周囲の山に関心がいくようになり、「純正山登り」へ一ランク向上したようだ。


 写真は、8月4日針の木岳で写したチングルマです。
 

2011年8月8日月曜日

ついに 針の木、蓮華岳に登る






 今年の夏はどうも変だ。毎日のように雨が降る。青空が頭上に広がった日にも、山は黒い雲をまとっている。例年ならすっきりと姿を見せる、甲斐駒も木曽駒も阿弥陀も蓼科山も、さっぱりご無沙汰だ。すかっとした夏の日が、この夏はないのである。おまけに、福島や静岡の地震では、ヒュッテが揺れた。今年の夏はどうも変だ・












 7月28.29日には、弟と一緒に北アの中央部に位置する、針の木(2,821m)、蓮華岳(2,797m)に登る予定であった。しかし、雨で中止。けれども、二つの山に登るのを、この夏のメインイベントとして、こちらに来たのだから、もうこれ以上先延ばしにはできない。弟は仕事で行けないので、8月4.5日ひとりで出かけた。












 8月4日。幸い、この日のヒュッテの朝は快晴。まぶしい青空が見えた。しかし、登山口の扇沢に着くころにはしとしと小雨。引き返すことは出来ぬと臍を固め、雨具を着けてスタート。帽子のひさしから雨だれと汗をしたたらせながら、林の中の急坂を登る。そのうち雨はあがったので、雨具を脱いで歩いた。ずいぶん楽になった。















 ごうごうと瀬音を響かせて流れる針の木沢の丸木橋を渡ると、白馬、剣と並んで、「日本3大雪渓」とよばれる針の木の雪渓尻。幅は50mゆうにある、スプーンカットを刻した雪渓が、鷹揚なカーブを描いて、稜線に向かって伸びている。先端はガスの中だ。渡ってくる風はさすがに冷たい。







 スプーンカットの上部につま先を置き、かかとを底に置くように心がけながら慎重に登る。ことに「のど」とよばれる付近は、急な傾斜が付いているので慎重を期した。1時間くらい雪渓を遡上して、右岸に上がり、歩きにくい岩礫帯を登り、最後は砂礫帯のじぐざく道を登って行くと、宿泊予定の針の木小屋であった。









 荷物を「乾燥室」預けて針の木岳に向かい、往復2時間、誰もいない頂上に立ち、小屋に戻る。空は晴れているが展望なし、この夏のパターンであった。








 翌朝、昨日よりはるかにいい天気である。しかし、遠方に見える山は、見えるかと思うと、たちどころにガスに阻まれる。それでも槍ヶ岳の尖峰だけは、はっきりと認められた。



 朝飯前に蓮華岳に登り、朝食後、昨日登ってきた道をゆっくり下る。目的を達しただけに、心はゆったりしている。しかし、2日続きで7時間近いアルバイトを続けているわけだから、くだばっているのはまぎれもない。身体が重く、膝も少々痛む。後続者にたびたび追い越される。ようやく11時に扇沢に戻り、「大町温泉郷」で汗を洗い落とし、名物のそばを食べた。

















 写真は登った日の雪渓と下山日の雪渓。なだらかに見えますが、実際はかなりの傾斜があります。ちらりと見えた針の木岳。早朝小屋から見た槍ヶ岳。

2011年8月2日火曜日

雨中のニュウ登山





 予報は雨でしたが、朝起きると、カラマツの梢から紺碧の青空がのぞき、まぶしい光が降っています。弟と一緒に、急きょ山行きをすることにして、麦草峠に車を走らせました。行先はニュウ(2352m)です。変わった名前ですが、森の中を突き抜けた頂の岩塊が、乳房の形に似ているからなど、諸説あります。







 登山口の鹿害防止ネットを持ち上げて登山道に入り、まずは白駒池を目指します。周囲はコメツガ・シラビソ・トウヒの高山性針葉樹がびっしり立ち並び、ふかふかした林床には青々とした苔が付いています。「岩稜の南八ッ」に対する、「森と湖の北八ッ」の所以です。





 白駒池の縁を時計回りに回り、白駒湿原で弟持参の紅茶を飲んで一息入れ、再び濃い森の中に入り、ニュウへの登りにかかるころ、非情の雨が降り出しました。雨具を装着して急坂を登って行きます。しかし、一向に小やみになる様子はありません。どちらからともなく、「やめようや…」といって登山中止です。





 降りてくると、こちらでは空は曇っていますが、降った形跡はありません。 ベランダに干してきた洗濯物も無事で、早々にテーブルを広げて、ビールを飲みました。





 写真は針葉樹の林と、ふかふかの苔です。