2013年8月28日水曜日

六人目の孫はビッグベビー

ビッグベビーは熟睡中(ママ写す)

 27日宵、息子に2番目の子ども、私には6番目の孫誕生。女です。かなりの難産で、分娩室で立ち会った5才の長男が、母親を「がんばれ、がんばれ」といって励まし、この日一番のビッグベビー3,644g、ようやく出産にこぎつけたそう。

 

 さしもの猛暑も、先日の大雨と一緒に去ったようで、朝方は涼しくて、タオルケットが手放せません。日中は33℃くらい、これなら何とかしのげます。もっとも、この約一ヶ月の間に、クヌギ・エゴ・ケヤキなど、伸びにのびた庭木は、狭い庭をいっそうせまくして暑苦しい。また畑の雑草は、見ただけで卒倒しそうなほど辺りを侵食し、作物を覆っています。しかし、これも1ヶ月遊んでいたツケ。汗を流し、蚊にやられながら、剪定と草むしりに敢然と取り組んでいます。

 

 旅の記憶では、カミサンの希望で訪ねた諸ミュージアムや、ライト山行ばかりの9回の山行もさることながら、恒例の労組婦人部有志同窓会、45年ぶりに会ったN君、数ヶ月前自転車走行中車に追突され、大けがをした同夫人、7年ぶりにお会いした岡崎の天野弁護士など、古い友人と会って話し合ったことが、深く印象に残っています。

 

 来年のことをいえば鬼が笑いますが、弟も周りも、往復には公共交通機関を利用してくださいといいますが、向こうで車なしでは始まらないし、来年まで元気でいられる保証もない、その時はその時考えるにことにして、さし当たっては草むしり、草むしり!

2013年8月22日木曜日

納めの山 八子ヶ峰

 朝ごはんを仕掛けていると、ベランダの床を叩く雨の音。久しぶりです。しかし、すぐに止みました。空はうす曇り。21日はこの夏10回計画していた山行の、9回目を実行する日です。これで打ち止めにするつもりで出かけました。

八子ヶ峰の草原

 

 行先は、ここ数年「納めの山」にしている、八子ヶ峰(やしヶみね1,833m)東急トレッキングコース。西登山口から30分も登ると、広々とした草原で、堂々たる山体の蓼科山を左に見ながら、ほとんど高低のない、緩やかな登山道を歩きます。ススキの穂が風に揺れ、赤とんぼがせわしなく舞い、夏の花に代わって、秋の花がそちこちに咲いています。山頂三角点は立科町側にあるようですが、茅野市側にある東峰が1,869mでほんの少し高いよう。
コウリンカ






マルバダケブキにとまる蝶
   この夏の山行を振り返ってみると、すべて1~6時間のライトなものばかりでしたが、天狗岳や大岳の岩稜歩きでは、身体が微妙に傾ぐのを自覚しました。今日も約2時間のライト山行ですが、これでトシ相応ではないかと、自分を慰めながら降りてきました。帰り道、色とりどりのコスモスが風に揺れています。それを見て、急に里ごごろが湧くのを感じました。
 





 明後日24日、こちらを早くたって、犬山の松永君と会い、身体の具合が芳しくない奥さんを見舞ってから、暑い九州に帰ります。
     (「蓼科だより」10)

紫色鮮やかトリカブト

2013年8月20日火曜日

守屋山に登りました


 朝起きぬけの気温は20℃くらい、日中は25℃くらいです。お盆の間は、多くの家や周りの林の中で人声がしていましたが、いまはひっそりしています。学校では夏休みが終わって、新学期がはじまりました。これに合わせて、弟の勤めている塾でも平常の勤務となり、午後3時にヒュッテを出て、午後9時ごろ帰荘してきます。秋が着々としのびよってきています。

トリカブトの紫が鮮やか
 

 昨日は八ヶ岳連峰と対峙し茅野市と伊那市の境にある、守屋山(1650m)にひとりで登りました。守屋山の頂上には、諏訪神社の本体が祀ってあり、地もとの人の信仰をあつめていると、ものの本には書かれています。登山口は市境の杖突峠、ここを伊那側に下った立石登山口、下りきった守屋神社の三つで、私は守屋神社前に車を置き、15分ほど登ってから、山腹を巻いて立石登山道に移るのを試みました。これでそうとう消耗しましたが、130分で頂上の西峰に着きました。

 

 山頂標識には、「日本展望の山100」とあるように、山頂からは北・中央・南アルプスを望むことができるのですが、この日は、残念ながらけぶって見えません。この夏8回目の山行はこうして終わりました。                                               「蓼科だより」9


守屋山のナデシコ

故天野末治弁護士のことを知る


 吹き抜けのあるダイニングキッチン全体に、パンの香ばしいかおりが広がっています。弟夫人がヒュッテにいない日の食事の用意は私で、主に和食ですが、パンメーカーでパンを焼くのは弟の仕事。今朝は焼きたてのパンに、ベーコンエッグと野菜サラダを添え、食べ終えると弟が恒例のコーヒーを入れてくれました。静かな朝です。

 

 先週の木曜日、「御岳さんを降りて(自分の)別荘に行く途中、文男さんに会いに行きます」(要旨)という、岡崎の天野茂樹弁護士から弟宛のメールを見せられました。天野弁護士は20年以上前から、北八ッヒュッテにほど近い1700mの高所に、別荘を持っておられる弟の知り合い。私も2005年に一度お会いして、これはあやふやですが、地もとで憲法や法律相談などの講師として活動されていると伺って、手紙を出したことがあります。しかし、お返事をもらった記憶はなく、このたびの用向きも思い当たりません。ともあれ、弟でなく私の名をあげて来荘されるというので、いくぶん緊張しました。

 

 土曜日の午後4時過ぎ、友人のSさんと一緒に見えた天野弁護士は、ベランダにしつらえたテーブルで、父のことが書いてありますといって、「正義と人権の旗たかく」と題した、自由法曹団愛知支部結成50年誌(1997年発行)を私に手渡され、Sさんや弟には、2005年に私が出した手紙と山の写真(これを同封した記憶はありませんでしたが…)を披露されました。また、私にはエビスビール(500)1箱もプレゼントして下さいました。しかし、ほかに格別な説明もなく、5時過ぎには自分の別荘に帰って行かれました。私はそのあと「先生は不思議な人ですね」というメールを出しました。

 

昼下がり、弟とコーヒータイムでくつろぐ
 その夜、私は「正義と人権の旗たかく」を開きましたが、全部で156ページのこの本の95ページから135ページに「輝かしい闘いの軌跡」-弁護士天野末治先生を偲んでーと題する評伝が載っていました。それによると、茂樹先生のご尊父・天野末治弁護士は1901年(明治34年)生まれ、京都帝国大学を卒業後、1928年には名古屋で弁護士事務所を開き、日本農民組合の顧問弁護士となり、小作料減免と土地取り上げに反対する農民や、労働者の弾圧に反対する闘いを支援して不眠不休の活動を続け、僅かに借地借家事件などによって、やっと事務所と家計が維持されたと書かれています。

 

 こうした活動が、天皇制警察の目に留まらないはずはなく、たびたびの検挙拘束ののち、1935年治安維持法違反で懲役2年(執行猶予3年)の判決を受け法曹資格失い、1939年に資格を再取得。戦後はいち早く活動を開始し、数多くの農民と労働者の闘いに参加・指導。なかでも、「大学の自治と警察権の限界」をめぐって争われた愛知大学事件や、メーデー事件・吹田事件とともに、三大騒擾事件といわれる大須事件弁護団長として力を尽くされます。また、自由法曹団東海支部の礎として、後輩弁護士に大きな影響を与え、生涯「正義と人権の旗たかく」たたかいつづけた、天野末治弁護士は1976年没。

 

私はこの評伝を読んで、水俣病裁判で現地に住み込み、水俣病患者に寄り添って、「勝つまでやるから負けない」をモットーにたたかってこられた、久留米の馬奈木弁護士や、足尾銅山事件で奔走した田中正造翁をイメージし、「信念にしたがって、ブレずに生きなさい」と背中を押された気がし、茂樹先生(男ばかりの5人兄弟で、弁護士になったのは茂樹さんにひとりだという)に格別の親しみを感じたところです。
(「蓼科だより」8回)

 

 

2013年8月17日土曜日

 前に書いたように、私が「北八ッヒュッテ」に訪ねるようになって、今年は9年目です。はじめの頃は、周辺のガイドブックから、登ったことがない、なるべく星の多い(難度が高い)山を選んで、2日に1回くらいの割で登っていました。しかし、ここ数年は滞在中にハード山行1.2回、間隔も3日に1回くらいにペースダウン。今年は目標自体、最初の一週は「カミサン孝行」、後はなりゆきでの「ライトな山行き」としてきました。その結果、昨日までの21日の山行回数は7回ですが、ハード山行はありません。

 6回目山行は、辰野市郊外の大城山(1,027m)。山行にときどきご一緒するご婦人から、「樋口さんは山での道探しには強いけど、街中ではダメね」といわれたことがあります。山では遠くの山を見て方角を決められるのに、ランドマークのない街中では、そうはいかず、まして車で走っていると、瞬時に判断を迫られるので、難しいのです。大城山の登山口も、なかなか見つけられませんでした。車を停め、地もとの人2人に訊ねて、やっと登山口に到着しましたが、曲がるべき肝心の「上辰野」交差点標識が、走ってきた方から見ると「役場前」となっており、降りがけに見える逆方向からでは「上辰野」となっていました。これではいくらなんでも、私の能力だけの問題ではないでしょう。


大城山のアカマツ林
その大城山。「六月熊出没、要注意」の掲示を見た後、登山口を入るとすぐ、モミの巨木に迎えられ、それを過ぎると、見事なアカマツの林が山頂までつづいています。そうです。ここはマツタケ林、登山者にはいささか興ざめですが、道の両側には延々とビニールテープが貼ってあります。しかし、登山道は松葉が降り積もってふかふか。その上に、松ぼっくりがびっしり落ちています。昨年暮れ、地もとの公民館に勤めている次女が「公民館のクリスマス飾りに要るから、松ぼっくりを探してきて」といってきたことがありましたが、ここならわけなく持っていけるなどと考えながら、約35分で山頂に立ちました。途中でも山頂でも誰一人出会いませんでした。こうして6回目山行は楽々終了しました。

 昨日は弟と朝食後に、麦草峠から茶臼山―縞枯山―雨池―麦草峠と縦走しました。「風が変わったね」茶臼山の展望所で腰をおろしている時、弟がいいました。たしかにこれまでの風と違って、乾いて冷たいくらいの風が、ほてった身体を冷ましていきます。八ヶ岳ではまもなく、夏が終わって、季節は秋です。私も来週は久留米に帰ります。

縞枯山の縞枯現象

2013年8月16日金曜日

こんこん草履講習会と野反湖を抱く山々

草原の登山道脇に咲いているガクウツギ

 だいぶ前のことですが、85日付ブログに、六合村で行われた、村で伝承されているポンポン草履「講習会」に、カミサンが参加するのを送って行ったと書きましたが、カミサンからメールで、正しくは「こんこん草履」というと指摘されました。訂正いたします。

 

 こちらは書いていないことで、「こんこん草履講習会」は、カミサンが午前9時半から午後5時まで行われるというので、その間、傍らで待っているわけにもいきませんから、講習会会場から近い 
しずかな野反湖
、群馬県と長野県の県境にある、野反湖を抱いている三壁山(1,974m)高沢山(1,906m)エビ山(1,744m)をひとりで縦走してきました。初めて登りましたが、おだやかな山でした。

 

 5時間近くかかって午後2時半ごろ下山し、迎えに行くのはまだ早いので、通りすがりにある「日本秘湯の湯」の尻焼温泉で入湯。3時半に講習会会場に行ってみると、講習は昼までに終わり、私が携行していた携帯電話に何度も架けたが出ないので、こんこん草履の先生・村のおばあちゃんたちとおしゃべりしていた由。カミサンとおばあちゃん方は、双方気が合ったようで、遅れた時間は一向に気にならなかった様子でした。なお、電話がかからなかったのは、私が電力保護で電源を切っていたからです。

2013年8月14日水曜日

弟と北八ッ・大岳に登りました

 生成りのカーテンが明るみ始めと、小鳥のさえずりで朝がはじまります。このところ、ヒュッテの朝の気温は、10日ほど前から少し上がって20℃前後。午後になると26度くらい。涼しい風が林を渡ってきます。エアコンはもちろん不要です。
岩と灌木帯を行く


 昨日は、弟と北八ッの北端に立つ大岳(2,382m)に登りました。朝食後、車で登山口の大河原峠に向かいました。ウイークディにも関わらず、お盆休みで車が少々多いようで、峠の登山口にも、たくさんの車がすでに停まっていて、登山者があちこちで身支度をしていました。



ゴゼンタチバナ

                                                                 9時スタート。双子山を越えて、静かにたたずんでいる双子池でひと息いれ、大岳の急坂にかかります。ここはおもに、腕っ節ほどに大きい、のたくっている松の根と、岩礫のミックス帯。根気とバランスが要求される、厄介なルートです。しかし上に登るほど、立木はひごろの強風にたしなめられて矮小化し、そばだつ大岩と相まって、見事な景観を醸しています。







 

 11時45分山頂着。トマトとわらび餅を食べ、しばらく休んで下山開始。大石の上を飛んで下って行く弟を、息せき切って追いかけました。双子池で休んで大河原峠着14時。帰りにスーパーでつまみと食材を仕入れて、ヒュッテに着くなり、ベランダにテーブルを出し、ビールとアテを広げて飲み、私の冷麺で〆ました。


強風にたわめられた灌木

さえぎる岩の壁

山頂のお地蔵様はおだやかに

2013年8月10日土曜日

八ヶ岳・天狗岳に登る


 昨日弟は仕事でしたから、ひとりで天狗岳(2,646m)に登ってきました。登山口の唐沢鉱泉は、「ヒュッテ」から約10kの至近距離にあるなじみの場所。天気は薄曇り、山は靄っていましたが、昼近くからグングンよくなり、暑くなりました。帰宅した「ヒュッテ」の気温は26度でこの夏最高。これでも暑いと感じますから、猛暑の福岡がしのばれました。
第二展望所のジャコウソウ

 

 登山口から西尾根稜線、それに続く高度2,400m余の第1展望台へは急坂続きですが、50才登山者を想定している、昭文社地図のコースタイム95分より早い90分で突破、岩礫が重なった登路も無事通過して山頂着。9時半でした。しばらく休んだ後、吊尾根を渡って東天狗岳に登り、「天狗の奥庭」と称する岩礫帯を下りはじめてから、思いかけずに手間取りました。

 

花期が遅いバイケイソウ
 一昨日、白駒池の周囲の湿った、木道を歩く時も気になったのですが、大きさ・形状・間隔がさまざまの、デリケートな岩礫の上を渡って行くのに、自分の身体が傾いで不安定になるのです。このため、いきおい慎重となって時間がかかり、比例的にストレスは蓄積されます。そのうえ、ぎらぎら照りつける日差しに焙られ、のどは渇きます。コースタイム60分が90分もかかり、楽勝気分は一気に吹っ飛びました。

 

 唐沢鉱泉に降りてきたのは午後1時。喉はからからで、普段は買ったことのない自販機の飲料水を買って喉を湿し、ヒュッテに帰ると、弟が間髪をいれず、ベランダにビールとタコ焼きとイカの揚げ物を出してくれたので、ようやく人ごごちがつきました。考えてみると、年齢76才。持久力はほどほどあっても、バランス感覚が年相応に衰えているというわけでしょう。

 
西天狗との鞍部から東天狗岳

 この夏、10回(10日)は登ろうと思ってこちらにやってきて、天狗岳で4回消化しました。あと6回は自分の体力を考慮して計画しようと思います。




日本庭園と称される天狗の奥庭



秋を告げる花、トウヤクリンドウ

2013年8月8日木曜日

長野県栄村と「絵手紙館」の印象


 新婦人の会の「絵手紙小組」で絵手紙を描いている、カミサンの希望で訪ねた長野県栄村の「栄村国際絵手紙タイムカプセル館」と「山路智恵絵手紙美術館」。同館ホームページ(http://www.etegami-goods.co.jp/outline/index.htm)によると、2000年に日本絵手紙協会が「20世紀忘れないよ こんにちは21世紀」と題して絵手紙を募集。これに応えて時代を映す63万通の絵手紙が集まり、「絵手紙万葉集」全7巻の本に編集された由。その6巻「戦争の記憶」の一部が、館の入り口付近に掲げられていましたが、戦争の悲劇を伝え、平和を希求するものばかり。それでいて、ほのぼのと温かい、同じ時代を生きた門外漢の私もいたく共感しました。

 

 また、小学1年生から6年生にかけて、毎日欠かさず2000枚の絵手紙を、絵手紙の小池先生に送った山路さんの絵手紙と、成人となって描かれた、大きいものでは畳4畳に及ぶ絵には、家族や自然、地震と原発被災者へのやさしいまなざしが感じられ、感動しました。一方、私が持っていた絵手紙の印象とは一味ちがう、昨今の政治・経済・文化・スポーツをモチーフに、巧みな絵と川柳風の文字が書きこまれた、特別室の池田亮二さんの絵手紙も楽しく拝見したところです。池田亮二さんの絵手紙は、以下のブログでも見られますのでお勧めします。http://blog.goo.ne.jp/ikedaryouji

 

 長野県栄村は、新潟県秋山郷と境を接する人口2100人台の長野県北端の村。豪雪で知られ、昭和20年には7mを超える日本一の積雪を記録し、その記録は今日でも日本一という。記憶に新しいところでは、3.11直後の3.12地震で大きな被害を出したこと。しかし、「国まかせ 村まかせ」を排し、全村民が自主的に村の運営に携わる、前村長が唱える「実践的住民自治」を実行中の稀有な村で、「絵手紙館」も村役場の職員の創意で作られ、人口をはるかに超える数万人が毎年訪れているらしい。「カミサン孝行」と思って訪問した私も、栄村と絵手紙にすっかり魅了されたところです。

 




前日に登った八方尾根から白馬鑓
(上の文章とは関係ありません)

にゅう(2,352m)に登りました


 昨日7日、久しぶりの青空が広がりました。普段より1時間早く朝食をすますと、弟と麦草峠から白駒池を経てにゅう(2,352m)に登りました。まだ、8月に入ったところで、各地で猛暑がつづいていますが、山には赤とんぼが忙しげに舞い、涼しい風が吹いて、早くも秋の気配がしました。
秋しのびよる白駒池

美しい北八ッの苔

オオシラビソと苔の森



 

 約6時間ゆっくり行動し、「北八ッヒュッテ」に戻ると、ベランダのテーブルに冷奴などのアテを並べ、ズッキニ-とトマトのグラタンをつくってビールを飲みました。清々した気分です。

チョコレート片をトッピング

2013年8月5日月曜日

今年のテーマは、出会いとカミサン奉仕

 私がいま滞在しているのは、弟の別荘「北八ッヒュッテ」。同ヒュッテは八ヶ岳の西山麓、高度1300mにあり、ミズナラやカラマツの高木が周りを覆っています。朝の気温は概ね18℃から20℃、陽があがっても22.3℃くらいで、涼しい風が渡ってきます。朝夕はTシャツ一枚では少々寒いので重ね着をし、夜は布団をかぶって寝ています。弟は仕事もこちらで決めて、住民票も移していますから、弟の本宅といっていい別荘です。


シモツケソウと白馬鑓

 「北八ッヒュッテ」で過ごすのは、2005年から毎年1.2回訪ねていて、今年が11回目です。私と違って弟も奥さんも寛容で、私が長居してもいつも鷹揚に対応してくれるので、これに甘えて1回に付き1ヶ月くらい、こちらで自由に過ごしています。その間、八ヶ岳の各山はもとより、長野県・山梨県のあれこれの山に登り、安曇野や大町に住む友人と逢ったり、美術館や文化施設などを訪ねてきました。

 しかし先行きあまり長くないと思われる今年のテーマは、なるべく多くの古い友人に会って旧交を温めること。さまざまに苦労をかけてきた、「結婚50年」のカミサンの希望をかなえることです。

八方尾根のニッコウキスゲ
で、こちらに来る途中、45年は会っていなかった会社の同僚・M君を犬山市に訪ね、「明治村」を案内してもらったうえ、近くのホテルに一緒に泊まって、夜遅くまで家族のことや昔話をしてきました。また、昔労働組合でいっしょに活動した、ご婦人がたが揃った白馬岳山麓の「同窓会」に出席して、愉快な1日を送ってきました。

 一方、「カミサン奉仕」では、倉敷に寄って大原美術館などを訪ね、こちらでは白馬八方尾根のトレッキングを行い、趣味の絵手紙に資するため、栄村の「国際絵手紙タイムカプセル館」や「山路智恵絵手紙美術館」、飯山市の「高橋まゆみ人形館」などを見学。さらに群馬県六合村に足を延ばし、「ポンポン草履講習会」に参加してもらいました。

 カミサンは家のことも気になるといって、今日帰宅の途につきましたが、私はもう少し、こちらで過ごします。